『そのとき私は74歳だった』

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毎週土曜日は、◆ステキにエイジング
今日は、14年後、88歳の私が14年前を振り返ります。
『しうこばーばの自分史講座』でもやりましょうね。



さて、私88歳

縁側の明るい日差しの中で私は干し柿の皮をむいている。
傍らでは孫たち、曾孫たち(血がつながっていなくてOK)が遊んでいる。
赤ちゃんがバスケットですやすや寝ている。
子どもたちが柿を縄に挟んでいく。
大きい子が小さい子に要領を教えている。
縁側の軒下にずらりと柿の簾ができる。
見上げる皆の満足そうな顔。
皮は干して沢庵に入れる。

そう、私はこれがやりたかったのだ。

おかげさまで二本の足も動くし本も読めるし、
パソコンも動かせる、新しいやり方に急いで追いつく必要もない。

まず食糧が自給できている、これが大黒柱だ。
あらゆる世代の交流の場がある。
私も時々『自分史講座』で出かける。
すでに、教えることは殆どなくて
若い人の刺激を受けるために。
時代がどう変わろうと変わらないものはあるはずだ。
そう、私はコミュニティのなかで生きている。



お金も必要最小限+本代、物見遊山も時々、寄付もできている。
14年かかって、生まれて以来のの課題に答えが出せた。

人生を変えようとしてから20年以上、
実際に現実の世の中に再デビューを始めたとき
私は74歳だった。

安保法制の❛成立❜から6年、
この国がおもむろに舵をまっとうな方向目指して切った年だった。
道は長い、課題は山積だ。
でも希望の種は芽を出して伸びようとしている。



あと10年若かったらな、と思わないこともなかった。
でもしょうがない、そこは年季でカバーすることにした。
パソコンも覚えられなくて大変だった。
いざ、世の中に出て行こうとすると ドキドキハラハラ!
イチイチ巨大な関所が待ち構えていた。


「人生は勇気のいる冒険であるか何もないかだ。
変化に向かって敢然と顔を上げ自由な精神を発揮するとき
その力は敗北を知らない」

ヘレンケラーのこの言葉を胸にほんとに一歩一歩だった。
すでにヘレン・ケラーよりも一年長くこの世にいさせてもらっている。


わからないことは聞けばいい
できないことは教えてもらえばいい
困ったときには助けてもらえばいい

我ら何をか知る ひとりでは何もできない
これを知りそめていたことが一番の幸運だった。
おかげさまでチームに恵まれて
チームのおかげで私はここにいる。



いるだけでほっとするしうこばーばに
そろそろチェンジするときだな、と
干し柿の簾を見上げるのである。