『「しうこばーばの自分史講座」は地味 その②』

595/10000 2020 12 22
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

「しうこばーばの自分史講座」は地味です
“これさえやればあなたは成功する”こともないし、
きらびやかな賞賛、ご褒美がやってくることもありません。

日常のふだんの暮らしを坦々と継続することが焦点です。
その継続のやりかたを作っていきましょう。

ご褒美は、自身の内心の満足、
沁みだしてくる静かな喜びでしょうか。

今読んでいる本の中で見つけました。

『COVID-19によって、社会の流れが大幅にスピードダウンしました。
それまでのものすごいスピードで動いていた流れがいったん止まりましたね。
私はあらためてケ(日常)を感じました。
それまで、昔で言うところの「ハレの日」みたいなテンションで
みんなが暮らしていたでしょう。
かつては外食することさえハレの日の行為でしたから。
今までの日常は、日常というより
『ハレの常態化』だった人も多かったのではないでしょうか?
ハレが常態化すると日常がやせ細ります。』
(釈徹宗さん 内田樹編『ポストコロナ期を生きる君たちへ』より)

“夏休み、どこか行く?ディズニー・ランド?旭山動物園?”
これ、どうなんでしょう?
私もどこか連れて行かねばと、今思うとこめかみに青筋立ててテンパっていた気がします。
衣食住育児教育税金交際費他の日常のほかに、ファミレスや、ハイレベルのレストランでの外食、テーマパークなどの非日常の費用も必要で、非日常優位の暮らしってどうなんだろう?

 もちろん、非日常をすべて否定していたら、大好きなコンサートにも祭りにも行けなくなってしまいます。そうではなくて、日常という土壌あっての非日常、そういう時代に戻って行く気がします。このまま、オリンピック、Go To キャンペーン、グルメ・・・と追っていたら、日常=衣食住育児の暮らしがやせ細っていく、イノチの維持と養生なくしての贅沢って、ありえない、と思いませんか?

 日常=うみ、はぐくみ、わかちあう 暮らしの営み優先の、落ち着いた世の中で子どもたちがのびのび育つ、そんな願いも『しうこばーばの自分史講座』には込められているんです。
地味だけれども、じわ~と湧いてくる喜びを共にできますように。時代を先取りしましょう。

今朝もガラスが凍りました。