『晩秋に思い出すこと』

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毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ①子供たちに伝えたいこと ②私の来し方 のうち今日は②で 生まれ故郷の大石田の晩秋を思い出すままに書いておきます。

 秋のさなかには、家の前にゴマを干していた。明るいお日様がゴマの木と鞘を干し上げる。ゴマには巨大なゴマ虫がうようよと這いまわっている。サツマイモもゴマもつくっていたのだ。(母たちが、です。私は遊んでいた)
 できるものなら、あのゴマが食べたい。今は輸入物のゴマを500~1kg単位で買っている。埼玉の飯能にいたときは、米屋さんに金ゴマありますと張り紙がしてあり、いそいそと買い求めた。マクロビオティックにハマっていた時期で、地元産の金ゴマときたら手に入れる他はない。
 あの中が白いサツマイモも食べたい。独特の品のいい甘さだった。

 最上川の岸の日当たりの一番いいところには、稲を高くはせ掛けにしている。確か井刈さんのとこのだった気がする。赤とんぼが沢山飛んでいる。

 秋の終わり近くには、家の前の階段の下で大根洗いをする。大きな桶に水を入れて沢山の大根を洗う。私達子どもも遊びがてらたいして手伝いにはならなかったと思う。それを縄で編んで干す(お母さんが、です)

茅葺屋根の下に短冊に切った大根を干す。これは正月に浸し豆と合わせる。
カライモ(このごろこの辺ではキクイモと呼ばれてなかまうちではけっこう知られるようになっている)の輪切りに糸を通して干す。干して甘味が増したカライモは、やたら漬にいれる。やたら漬けに入るのは、塩でつけておいたキュウリ、ナス、大根、紫蘇の実など。
やたら漬けはもうひとつあって青菜を細かく刻んで、ニンジンが入っていた気がする、漬けたもの。
 このやたら漬けも食べたい。あのころのお母さんの手作りのが。漬物、山菜は買うものではないと思い感じて信じている。


晩秋の大きな行事は学校の文化祭である。
ていこ姉ちゃんが作ってくれた、出し物に頭につけるボール紙に描いた紅葉の葉っぱ、頭に巻くのがゴムひもでなくて紙だった、それだけでべそをかいて晩秋の冷たい雨の中,コマス呉服店と、最上川に向かって左側は誰の家だったろう?の間の道をもみじの落ち葉を踏みながら家に帰る小さな自分が見える。これだけですぐべそをかいていたのだ。それに踊りが苦手で覚えられず隣の同級生を見ながらだったのも辛いものがあったしな。
  ♪ あかいあかい もみじの葉
   もみじのはっぱは きれいだな
   ぱっと ひろげた 赤ちゃんの
おててのように かわいいな ♪

 中学校の文化祭は店も出て大変にぎやかだった。中学校のおしるこは薄いという評判だった。作品展は、かがだの(母親たちの)展覧会だとそのものずばり言ってるどこぞのおとうさんがいた。

 父と二人の兄が冬支度に帰ってくる。ソガキ(添垣か)が主な仕事である。家を雪からまもるために家に木を立てかけて板を打ち付けるのだ。ソガキ用の材は軒下に積んである。ソガキが終ると家の中は光が入らず暗くなる。家の中に裸電球一つだったのが家中に電気を配線したのは、私が小学校4年のころだったろうか。父母、きょうだいに手厚くまもられていたのだ、と素直に肯けるトシになっている。

 今年の秋はスロー・ジョギングを再開して、十勝晴れの日も続き街中の紅葉を満喫している。紅葉狩りしながら思い出されることを書きました。高度経済成長前の、化学農薬も、パソコンもなかったころの、私の原風景です。次の世代、うちの息子たちの原風景はどんなものだろうか?見せてあげたかったことの何分の一もできなかったけれど、まずまず大病もせず元気にしているのでヨシとしておくか。

@帯広中央公園北の舗道で