『山の畑 の続き』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、・母の来し方を振り返る の内、先週の続きで、“山の畑のこと第二部”です。

というのも、山形の姉に先週の分を送ったらすぐ返事が来ました。そこには、私達、7人きょうだいの下の方では知らないことがたくさん綴られていました。

私は胸がいっぱいになりました。ひとりでぼそぼそ書くよりも複数になったらこんなにふくらんで豊かになるんだ!と大いに感動しました。

では、いちばん上ののり子姉筆の 山の畑のことです。

(うちでは一番上はただの姉ちゃん、二番目はてい子姉ちゃん、3番目はゑい子姉ちゃんと呼んでいた)

★ 山の畑行ってみたいですね。(今は)大石田ゴルフ場になり近くを高速道路が通っています。

・山の畑からアメリカ軍のジープが通るのがみえました。(当時神町に進駐軍が駐屯していた。最上川にピクニックに来る家族がいた)

・秋には大きく太く育った大根堀りで、そんな時は夕方おそく八時すぎ帰る。山の畑まで(一日に)二回も行った。両親と兄でした。私は三名の妹を見ていたのかしら。洗った大根をあんで十本づつ戸棚の上の太い黒い丸太ににいっぱいつるす。

・賢ちゃん(二番目の兄)が中学を卒業して(山形工業高校に合格したが進学できずに)父は出稼ぎにつれて行った。(四の五の言ってる場合ではなかったのだと思う。下に5人の弟妹がいるのだ。高度経済成長時代にあたった私はなんと能天気だったことか)

利明一才、母が畑へ行くので中学校に居る私のところに利明を置いて行くのでした。

・今宿の道を上り線路こえてずーと登り道より左へ入る。くじ引で一番奥が(当たって)荒木さんが開墾した。一反歩。太さ30cmも有った松の木を切り根をイロリで燃やす。

・カユイカユイ。父母兄が夏に毛虫,カイガラ虫にササレ キンカンをつける

・もちつき橋(最上川の支流の朧気川にかかっている橋)まで道が下りだった。(ああそうだった、もちつき橋の新町側の立ち上がりは、そういえば坂になっていた、と鮮やかによみがえる)母はリヤカーに乗せられた。止まらなくなってふり落ちた。(肩を骨折した)

・(それで母が国鉄とバスを乗り継いで谷地の骨接ぎに行く日には私達の面倒を見に)停車場(大石田駅の近く、ということで)のバアさん(おふじさん)が来てくれたのですね。母は私に知らせることせずに(のり子姉はすでに山形の理容店に住み込みで働いていた)心配かけずに強い母でした。

昭和20年代、1950年代の話です。

★ 更にもう一枚、当時は用を足すのに何里も“歩いて”いたエピソードの数々が便箋に書いてありました。これは来週のお楽しみ、ということで。

最上川と大橋です。我が家はこの手前にありました。今は堤防の真下になっています。