『行き違いの悲しみ』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、私の来し方を振り返ります。私の自分史の1ページです。

☆ 小学2年か3年のころだったと思う。家を出て川に向かおうとしている私に隣のまことくんのお母さんが声をかけてくれた。「しう子ちゃん、いいもの持ってるね」

その言葉に私の胸にズキーンと鋭い痛みが走った。私は赤い魔法瓶の水筒を持っていた。中のガラスが割れてしまい、母に言われて私はそれを捨てに行くところだったのだ。(不用になったものは川に捨てる、のんきな時代だった)

最上川の岸の林についた、小さな流れにそった小道、緑の中に水筒だけが赤い。そんな記憶がある。

このことは私のはじめての行き違いの記憶である。

☆ 哲学者のマルティン・ブーバーが自伝の中で書いている。父と母の離婚のことを近所の友達の女の子に告げられた時の衝撃を。祖父母は高貴な人で世の常のことを口にすることがなかったのだ。
(私、ブーバーと誕生日が同じです)

☆ 生きていれば行き違いだらけだ。なるべく避けようとはするものの致し方ないことのほうが多いだろう。わが身を振り返っても無知な若いときはいうに及ばず、今でも自分の言動にしまったと臍を噛むことが少なくない。一生引きずっていくかもしれないこともある。

時には行き違い転じて福となることもないこともない。

☆ 行き違いの悲しみの因と極力ならぬように心しておこうと、そのときは言葉にはならなかったけれど、あのときこの願いが私の中に生まれたのだった。