『食養に出会っていてよかった』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、子供たちを育てるとき、『食養』に出会っていてほんとによかった、という話をしておきます。

☆ 妊娠中は何時にもまして気をつけた。玄米を柱に和食を心がけ、化学農薬・食品添加物を極力避けた。理想どおりにはいかない“失敗”ばかり思い出す。でも『食養』に出会っていてよかった、とつくづく思う。

☆ 『食養』に出会ったのは1972年、東京に出て“類は友を呼ぶ”ネットワークで、友達になったなかまたちでいっせいに、マクロビオティックを通じて『食養』を始めたのだ。

スーパーマーケットの棚に並んでいる食べ物は、農薬まみれ食品添加物だらけであり、命を損ない。金儲けのための偽ものだ。身体によい。環境に負担をかけない、そして金のためでない経済を潜在的に模索しながら、一生懸命、私は一途に学んだ。

当時出版されていたマクロビオティック、正食関係の本は殆ど読み月刊誌を購読して、東京の中野にあったオーサワ・ジャパンのお店、京都の松田さんのお店、長崎では小川法慶さんのところに押しかけて教えて頂いた。特にお世話になったのは佐々井譲先生で、子育て中は何かあるとすぐ電話して教えて頂いた。

 そして身体も心も劇的に変わった。なんと爽快であることか!私の人生を変えた大きな出会いだった。

以来、具合が悪くなったら台所にあるものでなおすようになって今に至る。

  ・風邪をひいたら、大根湯、梅肉エキス、咳には蓮根、回復期には玄米ミルク、枕元にはヨモギを敷き詰めて邪気を払った。

  ・耳が痛い、と言い出したときは、さすがに焦ってお医者に診てもらい、薬は一回だけ飲ませたかな?スーパーの甘いお菓子を全部止めさせ、こんにゃく湿布をすると一晩でOKだった。

  ・ふたりとも赤ちゃんのときは大アトピーだった。上は粉ミルクアレルギーで、途中から玄米ミルク(玄米だけで育つんですよ、と佐々井先生に教えて頂いた)に変えて生後10ヶ月もたつとキレイにつるりなった。下は、わかっちゃいるけど止められなくて授乳中に食べてはいけないものを食べたからで、アレルギーの原因となる食べ物をすべてやめて3ヶ月で肌はキレイになったけれど黒ずんでしまい母は切なかった。

  ・はしかは,罹らせた。おなかにいたときの胎毒を出すものだ、と教わっていたからである。上はほぼ純正玄米菜食っ子だったので、軽い風邪くらいで済んだ。一方気が緩んで何でも食べた下はものすごい熱で、たしか42度くらいまで上がり、全身真っ赤に腫れ上がり、東条先生の本を片手に添い寝して夜通し看病にこれ努めた。よくやったね、と山西みな子先生にほめられた。

  ・上は冷やしたのと神経が立って母乳が出せなかったので、母大いに嘆きて、毎日玄米をうるかしてすり鉢ですって玄米ミルクを作って哺乳びんでちゃんと座って飲ませた。

   下は母乳で、こんなにも母乳が食べ物と一体なことに眼をまるくした。二番目は気が緩んで寝転んで飲ませたりした。なるべく長く飲ませたかったけれど前歯が虫歯になったので24ヶ月で止めた。

 ・ うんちの色を見ながら、陰陽で、塩、熱の量をコントロールした。

 ・ それから上は起きているうちは殆どおんぶしていたような気がする。電気・ガス・水道なしで水は川から汲み上げだったからそうしないと動けなかった。おんぶはスキンシップもバッチリで視野が広くなり心が鷹揚になり生きることを信頼するようになる、と読みました。納得です。

☆ うちの“実験動物”はふたりだけです。それでも『食養』に出会っていた分、ラクだったし健康に育ったかなと思う。小学校も4年くらいになると不気味なくらい病気をしなくなったし。

☆ どうなんだろう、今のおかあさんたち、できるかしら?マクロビオティック、自然育児の今の様子がわかりませんけど、生命力のあるお子たちが育ってくれますようにと心から祈っています。

なお、今は食養の原則に加えて総合栄養療法学び補助食品も併用しています。SNSでよく新しい情報が入ってくるのでこれは、と感じるものは取り入れるようにしています。