『大仕事だったお産のこと』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、ふたりのお産のことを簡単に書いておきますね。

☆ うれしかった。この人しかいない人のこどもだ。

それにしても無知だった。若かった。

☆ 戸籍を移すために山形の実家に帰ると、糖尿業で入院していた母が言った。

なんて格好をしているのか、もっと着込んで冷やしてはダメだよ。あとでくるからね。

若気の至り、私は年寄りが何を言ってるの、とばかりにスルーした。のぼせると川の流れ水に脚をつけて冷やした。

あとできた。

難産だった。隣の隣村の助産所まで検診に通い、本当によくしてもらった。

ところが3日たっても産道が開かない。明科町の産婦人科病院に駆け込み、それでも産道が開かず,いやだった陣痛促進剤でするっと出てきた。1977年10月4日。午後5時ごろ。入院中屋上から満月に近い月を仰いだ。

病院食が嫌でご飯は家から運んでもらった。ずいぶんとわがまましたと今は思う。数日後窓口で値下げ交渉をして(結果は忘れた。産後はこんなことをやってはいけない)退院した。

① 産前産後はとにかくひやしてはならない。② 産前産後に必要な『気』がある この二つを身体で学んだ。

我が家の初代猫のキジトラ姫は誰に教わるでもなく仔猫を産んで育てていた。それはそれは立派なものだった。

この続きはまた今度。

☆ 二番目はしっかり学び、ラマーズ法の呼吸法もトレーニングして気をつけた。

病院でも産めるように生活保護を受けた、母は強しなのだ。産気づいたので病院に行くと産気が静まってしまい、いったん家に帰りなさい、ということで帰るとまもなく陣痛が始まって2時間、するっと出てきた。1983年12月28日午後10時。寒月冴える美しい夜だった。

しうちゃんは何をやるかわからない、姉妹のカンか、のり子姉ちゃんが自宅出産セットを送ってくれていたのがそのまま役にたったのだった。姉ちゃん、ありがとう。

お産チームは、ストーリーテラーのデイビッドとカリグラフィーの〇〇のカップル、仏像彫りのトム、今大鹿のボブ、明代ちゃんとカズ・・・記憶がはっきりしない。カリグラフィーの女性が完璧に呼吸をアシスト、背中をさすってくれた。チーフは経験者のカズ、今大鹿村の中央構造線博物館の学芸員だ。

ろうそくの明かりの中で産湯に入れてくれた。産道の消毒は焼酎でやった。

この続きはまた今度。