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毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。
今日は、『貝原浩 風下の村原画展』@鹿追 福原美術館 を見ての感想です。
チェルノブイリ原発事故から35年、3.11 福島原発のメルトダウンから10年経つ。
貝原さんがベラルーシの立ち入り禁止地域を訪れたのは1992年、
❝サマショーロ❞(いうことをきかないわがままな人)と呼ばれる人たちが、
生まれ故郷を離れたくないと、畑を耕し、森でイチゴやキノコを摘み、楽器を鳴らして歌い踊り、結婚式をあげて暮らしていた。
貝原さんの圧倒的な表現力が迫ってくる。
その大地と共にある暮らしは、実に生命力にあふれていて、生まれ故郷を離れたくないというその身体からの声が聞こえてくる。
私達は、『チェルノブイリへのかけ橋・十勝』という団体を立ち上げてベラルーシから子どもたちを呼んで保養してもらった。そのときはまだ日本で同じことが起こるとは、可能性は頭では知っていた、でも実感はなかった。
3.11の後 福島の子どもたちの保養をほんの少し手伝った。福島では外の砂場で、林で遊べない、保養に行くと言えない、などなど胸がぎゅっと縮む。
この展覧会の実行委員の方が2017年に訪れたときにはもはや殆ど住む人はいなかったそうだ。生命力と喜びにあふれた大地とともにある暮らしには、国家権力による統制と管理とは別の次元の、地生えの秩序がある。それが根こそぎ放射能にとってかわられてしまったのだ。
放射能は生命に直接打撃を与える。
高度経済成長政策以来の経済、お金最優先の殺伐とした世の中は、いまや新自由主義とコロナ対策の不足によって殺伐度をアップしている。
根っこは同じものだ。
でも私たちはあきらめていない。諦めることができない。
サマショーロが村に帰ってきたように。
友人知人たちが心のこもった食べ物をつくってくれていて
おかげさまで化学農薬や除草剤を使わない野菜やコメのルートもあるし、
助け合う子育てのグループもできている。
手作りのナチュラルな衣服、装飾品の小さなお店もある。
小さな文化イベントを次々と繰り出すスペースもある。
そう、いのちと暮らしをいとおしみ大切にする小さなコミュニティが
自然発生的にいくつもできている。
そして、大地と海と人々とつながろうとしている。
ベラルーシのサマショーロともつながっている気がする。
貝原浩さんの大作に釘付けになって胸に去来した
私達が失ったもの、私たちが今新たにつくり出しつつあるものについてのメモ書きでした。