🔶土曜の朝は、ホリデー気分

毎週土曜の朝は、NHK FM で“weekend sunshine ”に続いて“世界の快適音楽セレクション”を聞きながらまったりすることにしています。今日は北海道特番のためゴンチチさんはお休みでした。

ピーターさんは全体に渋めで、何の特集でもなくリクエストだけというのも私は好きです。

先日亡くなったピアニストの、マッコイ・タイナーが数曲、デレク・トラックスも一緒にやってたんですね。もっとちゃんと耳傾ければよかった。

☆ 冬の終わりに着てます。

息子が暮れに持って来てくれました。母「えー、なに、その赤~、

・・・ん?」

「えー、パタゴニア!! それならいる、いる!」

というわけで只今愛用中。

☆ デパ地下で、マグロの血あいをゲット、サッと茹でて、何回か水を取りかえて臭みを抜き、生姜たっぷりの甘辛煮に。

山椒の代役は、ルッコラです。

☆ 今日のクンシランです。愛でまくり中。

蕾が少しずつ大きくなっています。

☆ 小松菜にも蕾が。

春先のうぐいす菜が懐かしい。

☆ ↓これはヨモギです。風呂用です。大きくなったのを枝ごと干します。おととしのがまだあります。春になったら新芽をこの春はどこかに摘みに行かねば。すぐ近くの“ヨモギ畑”が無くなったので。

あら、手前はルッコラです。種がまだ取れそうです。

☆懸案の棚をセットしました。ここに紙を分類、ファイルして入れると大仕事が一つ片付きます。

☆ ますます元気な、葉っぱがスペード型のワイヤープランツ、10年目になります。

『残されているものの数をかぞえる』

毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治

苦手、といっていられなくなった政治のこと あれこれです。

今日は、内田樹さん編『街場の平成論』の内、鷲田清一先生の『小さな肯定』の復習です。

鷲田先生を読むのは初めてです。さすが、哲学者!と感嘆しました。「言葉を持つこと」の意味、それはチカラであるとヒシヒシと迫ってきました。では・・・

★ 平成という時代は、

●“消費が生存の普通の形になることで共同体というものがス(漢字が出てきません)のようになってゆき”、さらに貧富の差が社会全体に広がった。

人びとの生活共同体に欠くことのできない《相互扶助》の仕組みが、今では、じかの「助け合い」ではなく、匿名のシステムによるサーヴィスを「買う」という構造に転換された(・・・されてしまった、と私達の世代は嘆く)

だから、助け合う共同体、という御輿の重さが実感できない(・・・できなくなってしまった) 

●さらに、『市場を場とする経済のひとつの基準が社会を支配し、更には国境をも呑み込んで浸透しだすと、社会の内的なまとまり、例えば、組合、結社、大学など、国家と個人の中間にある勢力が崩れ(ー暴力国家の意思でもあるな)その構造が「脆く、不安定に」なり、個人も浮き草のように市場に弄ばれることになる』(E・F・シューマッハー)(・・・今ホントに目の前にしている)

●「なぜ、日本が近代化に生きのびられたか、日本では有名な人はたいしたことがない。無名の人が偉いのだ。目立たないところで、勤勉と工夫で日本をっ支えている無名の人が偉いのだ。この人たちが心理的に征服された時、太平洋戦争が始まった。

勤勉と工夫に生きる人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手なのだ。そもそも大問題が見えにくい。そして。勤勉と工夫で成功すればするほど、勤勉と工夫で解決できる問題は解消して,できない問題だけが残る。」(中井久夫氏)

●予想できなかったほどの貧富の格差による社会の分断により、

「それを言っちゃあおしまいだよ」といった身も蓋もない、節度や品位の欠落した、いわれなき誹謗中傷や、雑言、露骨な排除の歯止めがきかなくなってきた。私的欲望の無制限な膨張をかろうじて緊めてきた縄が一挙に解かれ、社会の底が抜け出した

わざわざ説明などしなくても、社会の大半が一致できる意見、つまり「あたりまえ」が瓦解してしまった。(・・・公園の子供の声がうるさい、とか。この国の国会でもフツーの場景である)

「言論の宇宙」の前提となる意見の多様性は、そういう「あたりまえ」が法律にではなく慣習としてゆるく共有されているコミュニティなしには存続しえない。

●『運動としての国家がある種の均衡に達し、一定の静止状態に入ると、国家は「強大な機械」に変貌して(そうしようと何十年もかけて粛々と作り上げてきたわけだ)、人びとは、「恒久不変の装置として受け取るだけになる。このとき国家は反対に、「社会的自発性」を吸収もしくは抹消する装置として現象しだす。

こうして、「理由を説明して相手を説得することも。自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプ」がはびこるようになる。』(・・・そうか、今、この国ではその見本市状態だな)

●しかし、<大きな否定>は今の若い世代にはなじまないのか、「合わないな」「無理だな」と思えば、黙って消えるか見限って場所を変えてしまうだけだ。ここでも、<社会>の底が抜けだしたという思いが日々つのる・・・。

さらに、この<否定>の思考や感情を、貧困と格差の<否定>の現実が追い越していっている。

★ しかし、<大きな否定>ではなく、<小さな肯定>をもういちどゼロから積み上げてゆこうとの思いもまた生まれつつある。

これは、たしかに<大きな否定>、つまり世界のありよう総体に、理想や理念をを基に「アンチ」を唱えるのではなく、<小さな肯定>を一つずつ体感で足下に確認してゆく、そのような態度であろう。

底の抜けた社会を自前で再建してゆくその一歩なのだと思う。集団が粘度を失い、まるで砂粒のように時代の構造変化に流されるばかりといった状況を、<大きな否定>ではなく<小さな肯定>を丹念に積み重ねながら押し返していこうという静かな意思をそこに感じる。そのなかで、信頼、助け合い,おつきあい、憐れみ、共感といった古い「特目」が。これまでと違う感覚で模索されていると思う。

問題解決のコンテクストをみずから紡ぎ、編んでゆくこと、これこそ民主的な社会における<政治的>な行動の、基本だったとあらためておもう。

「押し返し」の試みは、メディアと人びとの関わりを、素手で構築しようとする動きにも見られる。

★ 『経済の問題は数字の帳尻合わせで、数字で計れないひとの心の問題はどこかへ行ってしまいます。我々が考えなければいけないのは、「失われていないもの、残されているものの数をかぞえる」ことではないでしょうか。』(橋本治さん)

☆以上、復習でした。今日はここまでと致します。

来週は、“あくまで希望にフォーカス”している私が、

<小さな肯定>と、『残されているものの数をかぞえて』みます。

『断捨離のやりすぎは、禁物!』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

3.11から、10年目、この借家に引っ越して10年目になります。

今日は、その引越しのとき、捨て過ぎて今も後悔している、という話です。

★ 3.11が発生したとき、私は国民年金の事務所にいた。職員さんが急いで入り口の戸を全開にした。その足で市役所に寄ると、テレビに、押し寄せる津波の実況中継が映し出されていた。え、なにこれ!? 近くにいたおじさんが、津波だよ、流されているんだ、と言った。CGのようで現実感がわかずしばらくの間戸惑っていた。

そのあとは家でテレビに釘付けになり、迫る引越しの片付けはどんどん遅れていった。

お隣の親切なおばさんが見かねて手伝って下さった。ガラスを磨き、大量の本を町内会の資源庫に運んでくれた。

★ 当日、兄がレンタカーを引っ張ってやってきた。時間がない!と急き立てられ、おっとり刀で残りの大量の荷物を分け始めた。バック・ミュージックは、兄の“捨てろ!捨てろ!”コール。

3.11パニックに加えて、急き立て捨てろ!パニックに煽られ、自分の段取りの悪さに唇を噛むいとまもあらばこそ、ええい、ええい、と大切にとっておいた思い出の品々を、くりりん(ゴミ処理場)行きのトラックの荷台に放り込んだ。

★ そのあといつも胸にある後悔リスト

 ・清水平記念品の  ●お焼き鍋  背負子(確かに使わないわな)

 ●日向のおばさんが、下が生まれたときに手縫いでつくってくれた亀の子。おんぶするときお子を覆うあれ、です。(その端切れのみ裁縫箱にある)

 ●山形の父がくれたぬいぐるみのまるい人形。これは写真がある、喜んで遊んでいる。

 ●息子たちの父ちゃんと出会ったときに着ていたブラウス。『地球の上に生きる』を見て同じパターンで何枚も縫った一枚。姉のお下がりのスカートのリフォーム。これは写真がある。

 ●小学校のときから大切に塗らずにとっておいたぬり絵。

 〇産着とおしめ(おむつ)ワンセット。清水平の水の気配を残していた。

●には、特に胸が痛む。とっておいても場所とらなかったわね。被災した方々が失ったものに胸がいっぱいになっていたこともあった。

 ★ 若いときはバンバン捨てたり上げたりしてみかん箱ひとつで引っ越したりした。確かに息子たちの仰るとおり もちょっとシンプルにセネバとは思っております。

でも、大切な思い出の品々の断捨離は、禁物と、トシとともに悟る。それは共に生きてきて、自分を支えてくれたものだから。

2人の子供の小さい頃の作品や成績表などをいれた「思い出箱」をつくる余裕もなかったな。

山形の実家にあった、太平洋戦争前後の、大量の写真。大工の仕事の現場で活躍している父、最上川と大橋、当時の両羽銀行の竣工間近の工事現場で近所の友達と3人並んでいる母(現場の掃除に行ったのだ。婿取り専業主婦の母の唯一のアルバイト・シーンか)、立ち退き直前の実家と近所の全景・・・

もはや二度と見ることはないね、惜しいけど、ときょうだいでうなずきあったて、一年になる。

 

『今いちばん大切なことは?』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す

ずいぶん範囲が広いですね。

今日は、読む書く話す以前の「考える」ということ、についてメモしておきます。まとまらないと思います。

★ 外国人のインタビュー記事を見ると、なんか日本人と全く違うんですよね。著名俳優、女優だけでなく通行人でも違う。

イキイキとしている、自分自身の言葉で話す、ありきたりのパターンのひとつ奥に入っている、気が利いている、などなど。

ううん、なんなんだろう、これは?

いざ自分が振られたら、ドギマギ、言葉に詰まりありきたりのことしかしゃべれないなんて情けない限りだ。

★ ここで入ってきたのが、台湾情報デジタル担当政務委員(大臣)、唐鳳、オードリー・タン氏の記事です。若干38歳、35歳で史上最年少の大臣に。

↓ 唐鳳氏のストーリーです。

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00837/?fbclid=IwAR3P7U9f-lBADK88jtilUMk8UxuSrxclV4LAdV_7Vr7fAAnPqssKD1u5npI#.XmXYfi864cI.facebook

この中で、一番ハッとして、やっぱり、と頷いたのがこの部分です。↓

子供の頃から哲学書を読む

唐鳳の両親はともにメディアで仕事をしており、考え方は知的で開明的な人々だった。父親は読書を愛好し、お金があれば本に使うような人だった。平等主義者でもあった父親は、大人に接するのと同じ態度で唐鳳にも接し、小学生の頃から唐鳳とひたすら質疑を繰り返す「ソクラテス式問答法」の対話を続け、自分の書棚にある数学や哲学の本を自由に読ませた。このような家庭で育った唐鳳は早くから知性の輝きを見せた。』

教育コンサルタントの松永暢史さんも哲学科を8年かかって卒業、“家の本棚には哲学書を”が自論です。

★ 振り返ってこの国では、政府によって、人文科学は追い詰められて片隅に追いやられようとしている。

目先の経済界の要望が満たされればそれだけでいい、経営者の今のニーズが満たされればそれでいいのだ。

大丈夫だろうか?これで、昨年末、7.1%もダウンしたGDPが回復するのだろうか?

なにもGDPが大きいからといってそのまま幸福につながるわけではないけれど、それよりも、これまでの常識では解決不能の問題が山積していて、非常識な発想と技術が今必要とされていて、それを着々と実行している地域、国がある。

プラス、外国の大企業の餌にされる(水道法の改正)、食糧(TPP,FTA,日欧EPA,種子法の廃止、種苗法の改正、GMO,除草剤、化学農薬の大幅な規制緩和)、大地(放射能他)、をこんなんで失地回復できるんだろうか?

『この国の私たちは、これこれこういう理由で、このようにこの国を運営する、だからこの件に関してのこちらの考えはこうです』、と言えなければ、あっさりとやられて滅ぼされてしまう。

尊厳と品格が失われてしまう。もぬけの殻、生ける屍だよな。

映画『コスタリカの奇跡』では、指導者たちが図書館にこもって思想と知恵を吸収しているシーンに釘付けになった。

★ 国家レベルの大きな問題だけでなく、例えば『なぜ、私が「しうこばーばの自分史講座をやるのか』を、言葉にしようと今呻っているところです。

★ WHAT,何をやるのか、よりも大切なことは、

WHY,『なぜあなたはそれをやるのか?、それが言えなければだめなんです』わが師の言葉が聞こえる。その時私はその言葉を全く持っていなかった、何を捜しているのかさえ言えなかった。

MHY?が、自分自身の身の内から言葉となって出てくるのに50年以上、かれこれ60年かかったことになる。

唐鳳氏はすでに10代でそれを思考するのみでなく現実の世界で具体的に、技術を目の前に提示できるチカラを持っていた。今回は自国のコロナウイルスの防御システムをつくり大いに台湾の人々の健康と幸福と安心に貢献した。なんて素晴らしいんだろう!

★ 矛盾に満たこの世界を生き抜いていくには、何が必要なのだろうか?

なぜ、生きるのか?、どう生きるのか?このことを熟考できる環境と時間が社会的に許されていることが世の中に余裕の気配を生み出すと思う。

★ 文学、思想、倫理学、哲学の学問、

~絵画、音楽、映画、劇他の芸術が、今一番必要なことだと思う。

ポスト・ヒストリーなる言葉も登場している現今、『愚直にいく』、と心が決って来ました。

『自分史の本、読破中』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう!今、未来に向かって

このブログのメインテーマです。

ただ今、私の誕生日に息子がおくってくれた自分史の本四冊に取り付いております。棚に、自分史のコーナーもつくりました。

★ 一冊目は、『自分史活用推進協議会』様に送って頂いたパンフレットでした。

これでまず、自分史というものの奥深さと未知の世界に圧倒されました。

なるべく早く協議会様主催の

自分史活用アドバイザー認定講座』に参加するのが最優先目標です。

特に知りたいのは“寄り添い方”です。お互いに平らに、新しいものに気づいて、実は知っていたものを引き出すそのノウハウです。

★ 次は、菖蒲亨氏著『自分史2.0』

・自分史の歴史 ・自分史をつくることで、素晴らしい自分に気づいて、日本を元気にする ・ご活動の様子

を教えて頂きました。

★ 今、読んでいるのは、齋藤孝先生の『自分史の書き方』。

齋藤先生の息遣いが伝わってくる元気な本です。

・手法、書き方のコツが詳しく書いてあり、とってもワクワクです、とここまで読んだところです。

・引き出し方のツボも、

・そして“次世代に思いを引き継ぐ。「生き抜く力」を伝える  生き方を真っ向から伝える”・・・と目次にあります。

これは私の一番伝えたいことです!

はやる心を抑えて1ページ、1ページ読んでいます。

齋藤孝先生の本は棚に10冊並んでいます

『「やったほうがいいこと」と「やらないといけないこと」』

毎週月曜日は、◆小さいビジネスを始める にあたってのあれこれです。

このブログを始めてあと2ヶ月足らずで満一年になります。一周年迄には何らかの形で、『しうこばーばの自分史講座』を始めようと心が決ってきました。

締め切りがあればこそ、チカラも湧いてくるというものです。

さて今日は、

札幌『作文教室ゆう』様の藤本研一先生の、3月5日のブログの復習をします。

藤本先生は毎日ブログを更新してすでに約3年になります。

その記事を毎日送って頂いております。ありがとうございます。

シンクロニシティがたびたびあって、自分のために書いて下さっているのでは?とあらぬ想像をしたりすることもあります。

3月5日の記事もそうでした。時間の使い方をもっとうまくと思っているのにどうも一番大切なことが毎日後回しになっている、と堂々めぐりが続いていたからです。

『求めよ、さらば与えられん』

拝見して以来ずっと頭を離れず、プリントして何回もメモして叩き込んでいます。

はい、藤本先生のそのブログは、こちらです。

では、復習をします。

① 「何に集中して取り組むか」を選択して明確にする

② 「やったほうがいいこと」BETTERと

  「絶対やらないといけないこと」MUSTを分ける

「やったほうがいいこと」は、無限にある ラク 圧倒的に楽しい 消費   (Youtubeサーフィンとかあっという間に一時間が過ぎる)

「絶対にやるべきこと」は、意外と少ない ツライ つまらない おろそかになり勝ち(確かに)地道  本質を見極めて  生産  

 ③ 「やったほうがいいこと」は厳選する

   「やらないといけないこと」を最優先に選択して集中する

 ④ 目標を定めて、実行計画を立てる

これで、だいぶスッキリとしました。

アサイチで、このブログをアップして明日の下書き、

次に『絶対にやるべきこと』、最も重要なことの表現に時間を使う、と決めて工夫を重ねています。

すでに時間が限られているときに、このような『技術』に出会えるとは、なんてラッキー!なんでしょう。

『天国に引っ越す前に』

毎週日曜日は、◆ステキにエイジング、

今日は、天国に引っ越す、または黄泉に還る前にやっておきたいことのリストです。前にも書いたことがあるような気がしますけど・・・

なにがなんでも叶えるんだ!みたいな意気込みがもう出せませんので、ま、イメージといったところです。でも★印は、優先順位の上位です。ではアトランダムに。

 生涯自力歩行 脳力向上 脳のシナプスは年取っても新しく結ばれるという話ですので、スピードは出ませんけど、ぼちぼちです。

★ 日本の古典を一通り読むこと。文学、思想、歴史他

☆ 英語が書けるようになること 読み話すのも FBの友達にアルジャジーラのニュースとテキストを教えてもらいました。能率よく学べるメソッドがいろいろあるし。翻訳が課題の文があるのです。英語の先生は密かに確保済みです。

 こぎれいにトシとること 

★ 『しうこばーばの自分史講座』を深めていくこと。参加してくださる方々とご一緒に最低2倍は生きる充実度をアップする。ライフ・ワークです。

☆ お金を自力で稼ぐこと+援助も有難く受け取る

★ 行きたいLIVEは、今思いつく一番目は、Richard Thonpson ,チケットが手に入ったら、辻井伸行さん、それとネマニャのファン・ミーティング

☆ 旅行は、滞在型で 手始めは 韓国の釜山、プラハ、小高島、ニューヨーク、トロント、東北の里山を始めとして、この列島の原住民をまわる、etc. 他民族共生、自然と共生していて、あらたにコミュニティをつくっているところ  

★ パソコン、もっとできるようになる

☆ 小さな家を持つ。土間、縁側、軒下、室必須。使いやすい台所。井戸。自家発電。プラットフォームになる居心地のいい空間

★ 家族となかまたちの食糧自給のルートを確保すること 助け合うネットワーク,コミュ二ティをつくること

★ いるだけで、希望と勇気が湧いてくるチャーミングなばあちゃんでいること

★ この列島が起死回生に向かう、そのきざしだけでも見ること。そのために① 心ある原住民とネットワークする  ② 次の世代への伝言を書き残すこと

あと30年足らず、リストアップするうちにワクワクしてきました。頑張れ、自分! 休みは十分にね。

 

『土曜の朝は、ホリデー気分』

毎週土曜の朝は、NHK FM で“weekend sunshine ”に続いて“世界の快適音楽セレクション”を聞きながら、まったりすることにしています。

まったりする時間、必要ですね。1ヶ月ほど前は、去年の疲れがどっと状態でした。おかげさまでだいぶ楽になってきております。

①仕事を増やさない ②まったりとひとりの時間をキープする

この2つを心しております。

☆ 今週のトップ・ニュースは、

アロエ千代田之錦に花茎が上がって来ました!

いつも12月には顔を出していたので、今年は休みと思っていました。

もう一株にも!

見えるかな?

☆ 今年はまた、ミニ・コンテナ・ガーデンがとてもイキイキ元気です。

2月半ばから気温がいつもより低いからか、ハダニが出て来ません。長くなる日差しにひょろひょろと伸びることもありません。

思いあたるのは、これでしょうか?

玄米や大豆を浸けておいた水をやっているんです。スプレーは薄いクエン酸水です。霧が細かくて気にいってます。

☆ 我が家初、クンシランの花茎、今朝の様子です。

愛でまくっております。

☆ 机の上の電気スタンドの上に置いてあるのは、

パートのたい焼きやで、タイからのお客さまに頂いたドライハーブです。

「この香り、お好きでしょうか?」とたずねて下さいました。

my little garden indoor から、ローズマリーも生けました。

☆ 絶賛ダイエット中です。目標達成率80%というところです。一年くらい前は、一週間でお腹がスッとへっこんでいたのですけどね。

ふっとひらめいたのが、

52~3kg迄減ったとき、当時いつもアロマを炊いていたこと。自律神経を安定させてあずかって力があったのでは、と数日前ピンときたわけでした。

こちらは、模範的なお膳です。

ちゃんとお膳して、頂きます~ご馳走さま。自身をもてなして八百万の神々に感謝です。

☆ 半ば発作的に髪を切ってひっつめをやめました。ぼちぼちの心機一転です。

今朝は青空が戻って来ました。-9度です。

『新生日本 ! どぶ板アクション・ハンドブック”』

毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治

苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

★ “コロナ戒厳令”来週成立が確実視される中で、

うちら主権者必帯、『新生日本!どぶ板アクション・ハンドブック』の中身をどうしようか、と思案している。

★ 要は私たち主権者がまだ、お相手様の実行活動量を上回る『場がつくれていない』のだ。執念、熱意もまだまだ不足している。こう思える限り真っ暗闇ではない。

 消費が価値と行動の中心となり、公教育で日本国憲法と現代史が殆ど教えられなくなって一世代、なかなかエグイ目論見かもしれない。

 パーセンテージにしたらどれくらいになるだろうか、多くの人にとって、なじみがあるのは日々接しているのはアベさん方のやり方だ。

 でもね、いつも思う、ベトナム戦争で、ベトナムはアメリカに勝ったのだ。ベトナムの人は長い長い被支配の歴史の中で、ベトナム人としての誇りを忘れなかったという。ここもこの国ではひとつのハードルだね、この国の誇りは何か?という問題がある。

★ さて、『新生日本!どぶ板ハンドブック』の目するところは、今様非暴力ゲリラ作戦のための便利手帳である。知ってるだけ、批判してるだけでなく、アクションにための。

その内容は・・・

・私は〇〇票持っている  自分の持っている票のリストとメモ

 票を一票一票増やしていくやり方を交換する

・気になったら即声を届けるために

  メディアのリストと連絡先  政党のリストと連絡先  地元国会議員の連絡先 他各種リストと連絡先

・どぶ板アクションマニュアル

  チラシ配布 ポスター貼り 街宣

  デモ、パレードのマニュアル 

  (『コロナ戒厳令』を施行させたらできなくなったしまうな)

・多忙な主権者がなるべくラクに楽しくできるやり方の交換

・大中小のプラットフォームをつくって、定期的に継続して、学び、ビジョンをつくり、アクションしていくやり方の交換

などなど。

デザインもステキにして、希望が湧いてくる感じにする。これ大事。

ちいさなグループと、市民連合ネットワーク他で力と知恵を結集して

最低10000000部つくる。PDFから各自印刷して綴じてもいいし。

★ 結局は、『どぶ板』自分の周り5メートルから。ちりも積もれば山となる。2015年夏からまもなく5年、追われおわれておっとり刀でやってみての、実感だ。

私自身、そんなに体力も時間ないけれど、なんとかチームワークで乗り切れないかな、と夢想する。

バーニー・サンダースも、どぶ板作戦は綿密に作戦立ててやっている。

韓国のキャンドル革命の本も見なくては。

れいわ新選組も、ポスター貼りのどぶ板作戦を根っこにおいて、マニュアル、コミュニケーションのやり方も完備している。

★ コロナ戒厳令”に慄きつつ、今夜の希望をメモしておきます。

まだまだ私たち主権者がやってないことのほうが圧倒的に多いのに、戒厳令で独裁されるなんて、ぞっとする。

明日は、立憲民主党、と議員さんたちに出来る限りメッセージを送らねば。さ、まずは寝よう。

『清水平と入山の再興を想像してみた』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、これから向かうかもしれない時代の可能性のひとつを思案してみます。

★ おととい、古いなかまが、なんと「岩殿山」の紹介記事をFACEBOOKにあげてきた。
岩殿山とは、清水平の谷の、向かいの山陵の確かピークだったと思う。友達がたずねてきたときなど皆でよく登ったものだ。私が登ったのは、一回か二回あくらいかな?

この山陵はなんと呼ばれていたのだろうか?当時は何も知らず、この記事にある山岳信仰の山であることも知らなかった。

ある年の春、その年はコブシの花がことのほかみごとで、山が残雪のようにコブシの白で彩られた。登って帰ってきたなかまたちはコブシに酔っていた。香りがほのかではなかったようだ。

★ 清水平は、入山部落の一番の川下の一軒家で、入山川(という名前があったか?)が回り込む突き出しのわずかに平らな土地にへばりついていた。

その奥に10件以上の家があったそうだ。私がおなかの兄とともに清水平に入ったのは昭和52年で、昭和40年代の初めには過疎地をなくす政策で殆どの家が山を降りていた。

山を降りなかったのは、当時三家族で、二家族は清水平側、といっても山道を歩いて20分はかかる、もう一家族はおじいさんとおばあさんだけが残っていて向こうの、村の中心部の出口側だった。一度探索したとき、家の前に自然薯を何本も干していておばあさんかおじいさんか、またはお二人か、縁側でくつろいでいたような覚えがある。

清水平側の池田の爺さんには本当にお世話になった。池田さんがいなかったら長くいることは出来なかったと思う。ギブ&テイク抜きで野菜を山のように持ってきて下さり、山暮らしのノウハウを教えて下さっ。カッテがわからず、目を白黒させながら真似してみた。春にはすももや桃の花が咲き夢のように美しく質素に住まっておられた。

山はすでに雑木に覆われていて、流れのあるところには段々田んぼのあとがあり、平らな水田を見慣れている目にはただただびっくりだった。このような斜面に小さな田んぼを開墾した村の人々の思いと必要と体力と技術を想像するだけだった。

電気が入ったのは太平洋戦争のあとだそうだ。

稜線上に分校の跡が残っていてコンクリートの大きな天水槽が備えつけられていた。村の人皆で寄って労力を出しあってつくったのだろうか?

エコロジーな暮らし、といえばカッコいい、しかし、「な、食べるのにカツカツ必死だったですよ」、と池田のじいさんは言い、しいたけおじさんにはよく、「お前たちは貧しさというものを知らない」、とよく言われた。

今になって、数少ない地生えの方からお話を聞いておくべきだったと思う。そこは、父ちゃんはうまかった。話を引き出し心から喜び感動して教わろうとした。継続は父ちゃんのキャラではなかったけれど、そのエンタメぶりには今は感動するよ。

★ あるとき、役場が村の航空写真を撮って配ってくれたことがある。その写真も、舎弟殿に送ってある。(デジタル処理して保存するため)

その写真を見ながら思った。どこに人がいるのかわからないではないか?あるのは犀川と山だけだ。国道から入山に向かう入り口、山清路、を探した。山襞の中に人も隠れている。

平らなところは治水が難しかったり山のものの恵が薄かったりで、人は山襞の隙間から住み始めたのではなかったか?(要調査)

わずか20年ほど前(当時)までは日本中で多くの人々がこんな山暮らしをしていたのだ。

もし、この入山部落を再興するとしたらどうだろう!?

☆ 雑木山を手入れして復活させる。

☆ 稗、黍、粟、麦、豆を中心に、米も植える。食糧は自給

☆ 作物を動物からまもる技術を開発する

☆ 動物を飼う

☆ 電気は今なら自家発電の技術がいろいろある

☆ コミュニティの仕組みをつくる コミュニケイションのトレーニングは必須

☆ 祭りと年中行事を創生する

☆ 学び舎、図書館を設ける

☆ 日々、淡々と暮らす

☆ ワークショップを開催する

☆ 現金収入は、ITの仕事とか、工芸作品、音楽と劇とかで

と書いてくると、この列島でコツコツやってきた頼もしい、あの人たち、この人たちが目に浮かぶ。私にはできなかったけれど。

資本主義がすでに限界に瀕している今、新たな経済システムが必要とされている。経済システム、などと難しく言わなくても、生き方として、山で海で自然とともに身体で生き合うコミュニティ能力は確保しておきたい。

コロナ・ウイルス騒ぎで、この4月にと計画してくれた能登~信州行きは延期になるかもしれないね。そこに、友達のおかげで岩殿山を思いだすことが出来て、つらつら思われることを書いておきます。

兄をおんぶして岩殿山に登ったときの写真も送ってあります。あの写真のなかの2人はすでに天国、母も清水平は見納めかな。