1180/10000 7月10日(月)2023年
毎週月曜日は、◆ほがらかばばぢからクラブ
凛として天寿をまっとう すべく、
年季、年の功、健康年齢、社会参加年齢、老化とつきあう、年寄りの冷や水
素敵なシニア.最期から逆算して備える、少子高齢化社会の中で、などなど
考察して参ります。
暑いです。7月上旬でこの暑さ、熱帯っぽい暑さです。夕方~朝は、まだ涼しいです。
今日は、中村きい子さんの『女と刀』です。
二十歳前後、最も強くわが身に刺さった本で、
貼ってある付箋紙に、いつもなら本に直接書くのに、2021 2 17とあり、その日私はほっとしたのでした。光文社版のペーパーバックをどこかにやってしまってから40年以上50年近くたって息子にたのんで送ってもらったのです。

『女と刀』は、主人公のキヲが、自らの生きてきた道を今として語る。
西南戦争の五年後に生まれ、父によって、「たとえ娘でも一国の主となるような豪胆な精神をもつように『紀旺』と名付け」られ、「城下士族にも見られぬ熱い血で灼かれた、野にある権領司という郷士の「鋼」(はがね)の精神をうちこんで」育てられる。
意に添わぬ二度の結婚、八人の子をなし、西南戦争、日清戦争、日露戦争、支那事変~太平洋戦争を、戦争に取られた子供たちと共に生き抜く。
薩摩藩内の村の階層差別、世間と家制度の有無を言わせぬ管理と抑圧の只中に身を置くよりほかなく、すべてを見逃がすことなく見据えて苦しみに身をよじりつつ、それでも働きづめに働き、揺るぐことがない。
大平洋戦争敗戦後の民主主義についても実にクールである。「おのれの血をはじき、そしてながしてうちたてたものならともかくも、この際いくさに敗けたということ西洋の国からおくりこまれてきたこの民主主義なるものを、その深さも知らずおのれのものとしていることに、わたしにもまた、それはお仕着せ的舶来品の軽さにうつつをぬかしているとしか見えないのである。」民主主義が100%アメリカから送り込まれてきたものではないけれど、この国は今それが定着の方向に向かうか、逆方向にかじを取られてしまうのか、この瀬戸際にある。
もちろん今の方が完全とは程遠いにせよ自由でよいのではあるが、この自由によって失ってしまったものがないだろうか。規範、律を求めて続けてきた人生であった気がする。キヲと比べたら実に希薄な人生ではあるけれど。
短かった能天気が許された時代から、困難に囲まれた現在とこれから、時代が今必要としている生き方がひとつここにある。今流行りのノウハウものでは間に合わず及ばぬものがここにある。止まらず全頁をめくった。キヲの系図も書いた。
世間一般の価値基準から飛びだして自らの生をまっとうする幾人かの女が登場してほっとする。キヲの孤軍奮闘ではなかったのだと。キヲと同じようには生きないが、生きぬくバランス感覚を伝える母がいる。文字通り生死をかけて言葉を交わし合い輪がかさなっていく末娘がいる。
五十年ともに暮らした夫に「-刀のひとふりの重さほどもないおまえさまととも に生きるというのぞみは、いかように考え直そうしても、もちえぬー」と決別の言葉を伝えて、七十で離婚、村の中の草庵に居を定め 冷笑、非難、雑言を浴びつつ、日雇い、土方で生計を立て直し、下の階層の老婆たちと心を通わせ、老婆たちは飲みながら即興的な「歌のかけあい」をはじめる。家というがんじがらめの束縛から自らを開放した独り立ちの楽しみである。
その最後の一節、
『―春、夏、秋、冬との四季のおりめごとに、わたしの住むあたりの山々は、樹木が年輪をふくらませながら多様に変わる。
だが、私の血は、まだ容易にこの自然に浸って余生を過ごそうなどという気にはなれない。
ーこの私の八十の血は、まだ依然として独立(独り立ち)の楽しみを欲して、さわぎやまぬのである』
八十まで、あと4年半もある。それまでに独り立ちをとよちよち歩き始めた私です。
⤵よく見ると、なかなかパワフル、目に見えるように伸びていきます。名前を付けるとしたら何にしましょう?GLでは判然としません。キヲは畑の草取りも手を抜かず根っこから引き抜き家族のものの手抜きとは一線を画していました。

