毎週木曜日は、🔷子供らに寄せて
今日は、金平様のお祭りとのことを話しますね。
毎年9月15日は、金平様のお祭りの日だった。旧暦ではなかったと思う。
金平様は、金平神社のこと、金比羅と書くけれど、生まれ故郷ではこう書いていた。
山形の内陸部、大石田町川端22軒の神社は金平様だった。
川端の川はもちろん最上川で、川端は、酒田からの水運の船着き場だったのだ。
金平様は水運の神様なのである。
私が生まれるずっと前に、水運は鉄道に変わった。
祖父は運送会社の丸通に勤めていて、鉄道とともに駅ごとに営業所を開設して、最上川の河口の酒田に住み着いた。
祭りは川端部落打って一丸となって遂行された。
大工の父の弟子の健三郎さんも部落の若いものといっしょに御輿を担いだ。てきやの店も並んだ。
なんか自分の部落のお祭り、はではでしいことが子供心に気恥ずかしかった。
土俵も造られ男の子は相撲大会に出場して賞品をもらった。
町中をまわって“花”を集める役は上級生だったのだろうか?
私はやった覚えがない。
祭りの部落の子は早退けだったような気もするけれど、はっきり覚えていない。
親戚が来ていたと思うけれど記憶がない。
夜は桟敷がかけられ出し物が上演された。
出し物は、旅の一座から民謡グループに、そして二番煎じの映画にと変遷していった。
そして高度経済成長政策が本格化する1960年、一学期を終えて夏休みの後に荒木一家は県庁所在地に引っ越した。
母は山形に引っ越してからも、9月15日には大石田の川端に出かけた。
『お母さん、引っ越したかったんだろうか?』
この冬山形で姉弟が集まったときそんな話になった。
生まれ育った川端、婿取りの母の胸の内を、今頃になって思いやる。
金平様は川端部落の中心で、寄り合い、
毎月の婦人部のお祈り(なんと言うのだったかな?)と無尽(母の代理で出でて当たったことがある)、
子供のための行事、浪曲に合わせた幻燈会もあった。
子供たちは境内で遊んだ。鬼ごっこ、縄跳び、陣取り、マリつき、かくれんぼ、ままごと・・
12月の御齋火、おさいと、火祭りは境内のすぐ下で、生の松の木もくべられた。この木の匂い、強くしかも清々しい、が甦る。
伝統の地生えの祭り、体験してほしいな。

