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毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと
② 私の来し方 のうち今日は②で 生まれ育った川端部落の22軒の職業を思い出してみます。22軒と記憶していたけれど22軒になりません。思い出せないところは姉に送って足してもらいます。
★ 一軒一軒の記憶をたどってみましょう。
北側本通りから中に入って
通りの東側が
松沢さん―農家?大晦日には鶏肉を買いに子どもたちが詰めかけた。
目の前でグラグラ沸騰したお湯につけて鶏を絞めて売ってくれた。
蕎麦も雑煮も鶏だしなのだった。
青木(何か商売をしていた)の倉庫があって
雪解けのころ日差しのいい日、子どもたちが屋根に集まって春の日を浴びた
通りを雪が埋めていてまだ屋根に登れるくらいまで残っているのだ。
?さん
我孫子?さん 何か行商していたおばさんがたいへんに楽しい人で、わが家の兄の結婚式の
ときにドジョウ掬いか何か陽気に踊ってくれた。
?さん
?さん いなせな大工さん 最も早くテレビを入れたので、弟と二人テレビを見せてもらい
に行った。囲炉裏のそばに借りてきた猫のように座って『ハイウエイ・パトロール
』などを見せてもらった。テレビの出始めはアメリカもののドラマが多かったのだ
奥さんは勤め人。おばあさん、元気なひと。
大場さん 桶屋さん兼馬喰さん。冬に滑り下駄の竹を取り替えてもらいに行く
細谷さん 庭に椿の木があって春先花を拾ってままごとした。みごとなノウゼンカズラも
あった。
武田さん 呉服店コマスの番頭さん 息子さんは確か専売公社、サラリーマン。
わが家と一番の仲良し。風呂をもらいにいくと檜風呂の湯に垢がいっぱい浮いてい
た。山形に出てから、ばあちゃんがよくわが家を訪れた。
金平神社 川端は最上川の水運の港だったので神社は金平様。川端コミュニティの
中心です。祭りは9月15日、母は必ず山形から出かけた。婦人会、子供会、
寄合、幻燈会、無尽、御詠歌の日、お斎火なんでもここで行われた。
石けり、縄跳び、おにごっこ、ままごと、花見、夏休みの朝の学習は机を持って
行った。ラジオ体操ももちろんここで。隣接の武田さんのよしずが見える。

西側は
板垣さん 左官か大工だったような気がする
斉藤さん 学校の先生
有路さん ?
遊びに行くとコンクリート敷の広い井戸の場所があった。
佐藤さん 左官?
井刈さん 農家?最上川で釣り用の長い長くつをはいて釣りをしていた。
同級生 井刈君は真室川町で製麺所、ネットで全国販売
阿部さん 農家?おじいさんに冬前に藁靴と雪踏み用の俵を編んでもらいに行く。
引田さん たしか左官。同級生引田君は大工さん。私が小学校に上がった時お姉さんが確か6
年生でお世話になりました。父と母が大喧嘩をしたとき聞きつけて、まあまあと
仲裁に来てくれた。
お寺が同じでおばあさんが暮に位牌壇に菊の花を飾ってくれた。
鍛冶さん 鍛冶屋さん。川端ーの立派な家。 男子はコマの調整に集まっていた。
馬が蹄鉄の取り換えにくる。
お弟子さんが毎朝山羊を最上川の川岸につなぎに来る
わが家との間に排水用の細い水路があって、
鍛冶屋の嫁さんが掃除をなさっていた。
荒木 大工
叶内さん 呉服店コマスの番頭さん。
お母さんはお針の先生。結婚前の娘さん風呂敷包みを手に習いにきていた。
お兄さんがそろばん教室をやっていた。同級生叶内君は埼玉で農機具販売
?さん 職人さん
★ どの家も土間と路地(ろうず)があり、鍵は、戸に取り付けてある木片を下ろすだけ。
何か足りなくなると隣に借りに行っていた。
どの家の周りにも花と木が植えてあり、家庭菜園という言葉以前でそれが当たり前だった。
魚屋さん、つくだ煮屋さん、お菓子屋さんが行商にまわってきて、紙芝居やさんも毎週来た。冬になると木曽から漆職人さんが漆器の修理に、まわってきて、囲炉裏端で雑炊を一緒に食べて泊っていく、そんな時代だった。
1960年の夏に、荒木一家は川端を出て県庁所在地に引っ越した。

