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毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方 のうち
今日は ②で,私のはじめての記憶を書きますね。
☆ 思い出せる初めての記憶は、くっきりと映像を結んでいない。何かの用事で汽車に乗って楯岡に行く父の背中におんぶされている自分である。ねんねこにくるまっている。
☆ 次が、生まれてすぐ皮膚に菌が繁殖してほぼ全身やけど状態になって藁布団に寝かされいる弟を、布団の傍らで小さな私が見ている。弟は薬を塗られて全身赤い。1950年の春だから私は3歳である。当時は今の様に消毒消毒でなく、自宅で藁布団の上での出産だった。母は40を過ぎていた。
☆ 小学校に上がる前、どろどろに汚れた着物をきて家の前にいる。気に入らないことがると大きな声で泣いた。
家の前には、布団干しの木の棒があり、笹、キク科の花、なでしこ、大根が植えてあり、隣のまこと君の家の敷地との間にグミの木があった。笹は七夕の時に使い、大根からは種を取り、いつか甘いグミの実を食べることができるようになるだろうかと悩んだものである。熟れるのを我慢できずに渋いうちに食べてしまうから。これは小学校に上がってからの記憶だ。
グミの渋みって抜けるのだろうか?この辺でもグミはときどき見かけて食べてみるけれど、渋みのないグミはいまだに食べたことがない。
☆ 小学校に入学するときには、二人の姉が手取り足取り世話してくれた。荷物をかけるところはここだよとか。石板と石筆を持って学校に行った。担任はベテランの女教師荒井先生で和服姿だった。川端部落22軒で全学年に子どもたちがいて5,6年生が自動的に後輩の面倒をみてくれた。吹雪の朝にはマントを広げて先頭に立ち小さな私達はしっかりとまもられて後ろからついて行くのだった。
☆ 小学校に入ると覚えていることはは急に増える。そうそう、入学だというので武田の昭ちゃんに頼んで記念の写真を撮ってもらった。昭ちゃんはサラリーマンで一歩先をいっていてカメラを持っていたのだ。晴れた空のもとで最上川の岸でおかっぱ頭にセーラー服の私が笑ってポーズをとっている。
この写真もデジタル保存のため息子のところに送った。
思い出せるはじめての記憶はこんなところかな。

