毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
ずいぶん範囲が広いですね。
テーマがいくつかたまっています。今日は、話し方のことで、
『深く静かに 話したい』という願い についてです。
★ 東京の西荻窪の針灸指圧の木村治療院でわいわい集まってしゃべっていたとき、木村先生の奥様に、『しうこのげさこ』と言われたことをおりにふれて思い出すことがありました。え?とその時感じた違和感を思い出すのです。
私は別に大げさに話してないのに、なんで? 20代でした。
息子たちの父ちゃんにも、『お前はすぐ興奮する』と言われたものです。
え、そうかな?
★ あれから数十年経って、今は、ひとつの年の功かもしれない、
『淡々平静でいたい』と願われるように変わってきました。
先日気の合う友達と話しているときも、
“ほうら、またやってる” と自分の 淡々としない話し方が気になって、しまった、と内心目をぎゅっとつぶりました。
★ 再び 渡辺京二さんの『万象の訪れ わが思索』より引用です。
『人間は地球という環境から、様々な恵みを受けとって生きているのだが、それは同時に様ざまな危険や苦難を代償としている。当たり前だ。地球は人間のために設計された安全な乗り物ではないからである』
『近代ヒューマニズムは人間がたどりついた偉大な自覚である。だがそれは同時に、途方もない錯覚と思い上がりに導く陥弄でもありうる』
『日本人は火事で焼け出されてもニコニコしている、というのが在留西洋人の間で評判になっていた。・・・焼け跡にかたまった人びとは噂通り、笑い声を交えながら互いに世話をし合っていた。そしてまだあつくほてっている大地には、早速掘っ立て小屋が建ちかかっていた。』
『この地上に生きる以上たえねばならぬ苦労を、大袈裟に言い立てるのは羞しいことだ』
(地震・台風、何ものぞ p218~219)
★ そもそもあり得ない完全を基準に、価値基準をたてる、ということがおかしい、と腑に落ちてきたのですね。
うちの上の息子も、3.11の地震のとき、東京にいた弟に電話ひとつするでもなかったらしい。ここぞ母の騒ぎ時とばかり通じない電話を何回もかけていた自分は何やってたんだろ、といささか恥かしく感じたものです。息子はJRの運転士でいつもお客様のお命をお預かりしているわけです。
息子たちの父ちゃんにしてみれば、家の破産・貧困・飢え・特高・戦争・同世代300万人の戦死・広島、長崎、桜島の噴火、といちいち騒いだらやってられないのと、騒ぐのは羞しいという、生きる上での基底の腹に座った皮膚感覚、世間で
共有されていた覚悟だったのだろう、と今思います。
★ 『心から思っていることを語るときには、静かに話すものである』
要修養です。
