『県庁所在地の10年①』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、来じ方を振り返り、県庁所在地での10年のことを書いておきます。

★ 私が県庁所在地に住んだのは、1960年夏~1971年11月の末までの約10年だ。

生まれ故郷の大石田からの引越しのさなかに、親戚の“停車場”の家(駅の近くにあった)で生理が始まり、当時は恥ずかしくて言えないでいたら母が用意してくれた。その時のお母さんの気持ちを思うと切ない。私は女の子がいないしね。

この10年間、私はいつも機嫌が悪くしょっちゅうぶちぎれていた。弟は、しうちゃんは暗かったよな、という、確かに。家族の皆様、ごめんなさい。

・荒木一家の血統で、学校教育の体育(当時は“体操”といった)が苦手で走るのも遅い。私は運動会の前には、釘を踏んで足を怪我すればいいな、とか叶わぬ悲願をかけたものだ。

案の定、ここでも体育の先生にはいじめられた。ひたすら耐え忍んだ12年間(小1~高3)だった。 (このことについては後で別項を立てよう)

・ひと学年100人二クラスから、約400人8クラス、ひと学年下は10クラス、教室が足りず、授業ごとに移動した。

物寂しくよそよそしく、生気が根っこのところで違っていた。あとになって、「疎外」という言葉を知った。

クラスは友達が固定されていて入っていく余地がなく異物排除するものもいた。

まあでも暗さ100%でもなくそこそこ元気にやっていた。担任の先生にはよくしてもらったし、友達と笑いながら生徒会もやった。

★ 高校は進学校。全然面白くなかったな。他の高校でのびのびやっている同級生が羨ましかった。勉強は頭がまわらず下の上といったところだった。特に理数系は文字とおりまるでダメ、もったいないことをした。

今ならなんで面白くないのかわかる。そのころはわけもわからず霧の中という感じだった。

本は読みました。『チボー家の人々』『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などなど。

おおっと響いたところ、言葉にしてくれている部分は書き写しながら。夢中になって読んだ。
勉強が面白くなかったら、今なら図書館で片っ端からもっともっと読みまくるのだけれど。

一年浪人して歩いて13分の大学に入った。

今日はここまで。続きは次回に。

今、渡辺京二さんにハマってます。若い時は、絶対に口に出せなかった
恥ずかしかったこと、辛かったこともありのままになってさらっと話せるようになる見たいです。解放感を味わっています。