毎週水曜日は、◆読む・書く・話す、ずいぶん範囲が広いですね。
・スマホ中毒から脱して、本にし始めました。
・『毎日』更新 と決めているので毎日書く(今日も一日遅れになってますけど)となると、ううん、今日は困ったな、という日でも書いているうちにチカラが湧いてきてくることがあります。
・ 人と話すときは、とにかく聞くが9で、自分が話すのは1、それも手短かに。つい焦って要らぬことを言ってはしまった!と思うわけです。
以上は、今週の近況でした。
さて、今日は、二十歳のころからの私のメイン・テーマのひとつの
『心身一如のコミュニケーション』
についてのメモです。
★ 『心身一如のコミュニケイション』とは、言葉や思いが身から、身体から発していて心と身体とがひとつになっているコミュニケーションのことです。
何がきっかけだったのか?これは私の“生涯を通しての課題”です。
思い出すことがいくつかあります。
・初めてのお産で神経が生物的に敏感になっていたとき、ふうっと、あ、この人の言葉、ふるまいは、身から出ているのはこれだけだ、と目に見えたことがありました。
・私たちが子供の頃、大人から言われるもっとも厳しい言葉は、
“あがすけくさい”でした。
これは山形弁で、生意気だ、ということです。
この言葉にはいくつかの面があると思います。その中で「目上の人に若輩が言ってはいけないことがある」という意味も含みます。
・「あなたはそれを言ってはいけないのです」これをわが師に言われたときのばつの悪さをずっと覚えています。
・ あるグループの中にいるとき、「あなただけ違うのよ」と友人に言われました。これもとてもズキッときました。そう、そのときその場でチャらい言葉を出しておだっているのは私だけだったのです。そのあと混乱の中に放り込まれ苦労した時期があったことを久しぶりに今思い出しました。
★ 「身の程をわきまえる」なんて過去のもので、若い人たちにはなんのことやらわからないかもしれませんね。
★ テレビで伝統芸能の若手の役者さんがインタビューを受けるのを見るのが好きです。敬語の使い方をキッチリしつけられていてたいへん爽やかです。身体で表現できなければ相手にされない厳しくも美しい世界を垣間見ます。
★ 12月に参加した、佐々木寛先生のファシリテーション・ワークショップのなかで
『発する言葉は、本当に身からのものでなければ、コミュ二ケーションは成立しない』と伺ったときは、ピンときて背筋が伸びました。
★ 山本太郎さんのスピーチと存在は、その言葉と振る舞いが太郎さんの“身体から出ている”ものであることを、太郎さんに共振するものは自身の身体でまざまざと感じます。
★ もう一方、美智子皇太后さまのおことばにも感じました。皇后さまでいらしたときおことばの美しさ、凛としてはいるけれども誰をも傷つけまいとするお気遣いの深さ、お立場がおありとは思いますけれど。
★ ではどうすれば、言葉がからだから出るようになるのだろうか?
今思いつくことをアトランダムに
・まずは謙虚さ 無知の知なるは知 ・相手の身になれる 思いやりができる ・経験を踏んでいる ・修練を積んでいる ・自分を信頼している ・総合的な経験と感覚 ・・・
頭,脳だけをひとり歩きさせるのではなく、ことばを含むふるまいをからだから発するものとなるように心がけ努力を続けること。
ファシリテーション・ワークショップにもっと参加して学びたい。
・・・『心身一如のコミュニケーション』についての今日のメモはこんなところです。まとまりませんけれどアップします。思考継続します。
・
