毎週木曜日は、🔷子供らに寄せて
今日は、“御斎火”のことを書いておきます。
★ 子供の頃は暮らしは月の暦に依っていた。
今頃なら、御斎火(おさいと)、火祭りの日があった。
ん?太陽暦では年明けだったろうか?記憶がはっきりしない。
★ 部落の神社、琴平様の境内の下に木を積み上げて燃やす。
誰かが常緑の松の枝、杉も入れたかも、を入れると、火の勢いがぐわあっと増す。炎が集まった子供たちの顔に映る。
子供たちは持って来た習字やテストの紙をくべて、学業の向上を御願いする。
琴平様の神棚にはお供えのろうそくがずらりと並んでいる。鶴岡?かどこかからろうそくの注文取りが来て各家財布の事情に応じて注文したのだ。花とかが描いてある和蝋燭である。
子供たちはその蝋燭をじっと見ている。明日の朝ろうを貰うのだ。板スキー、そりに塗るために。
夕方には出羽三山から修行中の山伏が来て、法螺貝をならして川端部落を清めてくれた。(+御札売りにも来ていた)
和蝋燭の注文を取りに来た行商人、和蝋燭職人、積み上げられた木、松と杉の枝、琴平様で御斎火を取り仕切る大人たち、集まって頬を輝かせる子供たち・・・
みんな何処に行ったのだろうか?
★ そのころ、高度経済成長政策が本格化する前は、農業人口が50%を越えていて、
大石田は職人の町なので、大工、左官、建具職人、石屋、桶やをはじめ鋳掛けやもあった。
そう、身体で、人々は生きていたのだ。
★ 35年前北海道に来る時、琴平様に寄って挨拶してご加護を御願いした。気配が寂しく変わっていた。
1960年、高度経済成長政策が本格化する年に荒木家は県庁所在地に引っ越した。
たちまちスーパーマーケット経済に巻き込まれ、母のメインの仕事だった民俗年中行事も激減した。山形市にいた10年、私はいつも不機嫌だった。(家族の皆様、ごめんなさい)
★ 明治維新以来に失われつつあった「よき日本」は高度経済成長で根こそぎになり、平成の30年、3.11、更に現政権の6年でタガは外れ底は抜け状態、
だけれども、私達はこの土地に暮らし生きている。
目の前に若い人々、ストリートを保育園の子供たちがお散歩で通る。
★ 明治維新以前、高度経済成長以前のいいとこ取りして、今のいいとこも取って、
一歩一歩蘇らせていこうという声が身の内からする。

