1392/10000 月暦4月16日 太陽暦5/23(木)
30代の8年半、信州の山の中の一軒家、清水平で電気ガス水道ナシのくらしの中で二人の息子を育てました。そこの地母神に与えられた三つの言葉「うむ・はぐくむ・わかちあう」が私の生きる軸として揺るがぬものとなりました。
水の次は、「火」のことをお話しましょう。
今、火を焚くことがありますか?、キャンプの時くらいでしょうか。火を焚いてはいけないことになってるんですよね。街中で薪を積んでいるお宅がけっこうあって 備えているストーブも立派、「薪ストーブ 及び煙突の安全設置技能資格制度」もあります。帯広に来たばかりの頃は薪ストーブ、石炭ストーブを炊いたことがよみがえってきました。灯油をできる限り使うまいとしたのです、あれからかれこれ40年、変わりましたね。
清水平では火の中心は、囲炉裏でした。家の中に火を焚くところがあったのです。土間があって囲炉裏があって、それが普通でした。私は64年前まで、入山部落は人去って10年、池田さん宅も伝統のつくりでした。
囲炉裏の後ろに薪置き場があり、焚き付けに火をつけて燃やします。
薪も焚きつけも山から頂いてきて、プラスチックはもちろん紙も燃やさないようにしていました。それは、灰を畑に撒いたこと、山菜のあく抜きは灰で、それに、信州名物の本おやきは囲炉裏の灰に埋めて焼くのが本格的だったからでもあったのですが、そもそも山にないものを混ぜない、火は山からの恵みを損なわない、とても自然ないとなみでした。
村の中学生がここに集まって、私たちがなぜここで暮らしているのかを聞く集まりをしたとき、孫たちのためにとおじいさんが持たせてくれたおやきは、地粉のパワー溢れる実にごっついもので、ベーキングパウダーも重曹も卵も使わない手作りで、それでおやきのなんたるかを知ったわけです。今なら「売れない」でしょうね、文字通り歯が立たないだろうと思います。
おやきは池田さんが囲炉裏で焼き方を見せてくれました。熱い灰がオーブンになると知りました。
不必要に火を大きくしないのも心得です。もったいないですからね。
囲炉裏を囲んでいろんな話が出ました。
村の池田さんと郵便配達さんが、それぞれまったく違うことをお互いに話していました。
ナナオ(息子たちの父ちゃん)はネイティブ・スピーカーのヘイゼルに英語での詩の朗読のチェックをしてもらっていました。
西表を引き上げてきた内田ボブに「歌ってみろ」と言われて歌ったら、「突き抜けるものがない」、とダメ出しされました。(その通りでしたわ)
上の息子は粉ミルクアレルギーだったので途中から玄米ミルクに替えて、毎日囲炉裏端ですり鉢で玄米を摺り囲炉裏の火で沸かして飲ませました。野口英世のことが頭にあって、ハイハイしはじめると息子が囲炉裏に落ちてやけどしないようにキリキリしてましたね。
『火を囲んで座っているだけで、いつもなら話さないことを友人どころか知らない人にまで話してしまうマジックです。パチパチという木の爆ぜる音を一緒に聞いているだけでも「同じ世界」で「一つになる」。
共通前提がないと本音で話せない日本人にとって、火の共通体験は強力なアイスブレイキング機能(初対面の緊張をほぐす機能)を果たします。キャンプ(清水平)で一緒に料理し、火や食について先史に遡り、地球全体に想像力を拡げて語り合えば、それが子供たち(私たち)を「社会への閉ざされ」の外に解放します。』
(宮台真司、藤井聡『神なき時代の日本蘇生プラン』ビジネス社、2022)
囲炉裏の熱と煙が家屋を乾燥させ保護していました。土間と囲炉裏、それと縁側のある家に住みたい、人とのつきあい方がきっと変わります。鍵のついたドアでしっかり警戒排除するようになりましたね。すでに清水平にいたとき托鉢のお坊さんに、部落に入ると有線で警戒情報が流されると聞いててショックでした。土間、縁側、囲炉裏、内ならず外ならず、そんな「場」がなつかしい。
⤵ こちらは帯広、中央公園のいつもの場所、二本のカシワの木の新緑、タンポポは綿毛になりました。

