毎週木曜日は、🔷子供らに寄せて
今日は、ファミリー・ヒストリーのうち、『石代おばあさんのこと』を語りましょう。
☆ 石代おばあさんは、私達の母のお母さんです。
穏やかで丈夫な人でした。
酒田に住んでいたので、「酒田のばんつあ」と呼ばれていました。
☆ 鉄道の開通に伴い、ばんつあの夫、私達のじいちゃんは、運送会社の丸通の事務所を駅毎に開設して最上川を遡り、河口の酒田に住み着いたのです。
大石田に残して来たエツ子(私達のお母さん)を思って、大石田の方を向いて涙したものだ、と静かな声で当時を偲んでいました。
☆ 家族に八つ当たりしまくっていた二十歳前後、酒田のばんつあが来るとほっとしたものです。
小さい子どもが泣いていると、
小さい子を泣かせるんじゃない、と言って(酒田弁で)さっとおんぶしていました。
☆ ばんつあと歩いていて、ばんつあがこけそうになったとき、サポートしようとしなかったアホな自分を、今も苦く思い出します。
食堂でハヤシライスを頼んだら、肉を丁寧に除いていました。
しまった、と、なにやってんの、とが混ざって傍観していた自分が情けない。
二十歳前後のなまいき盛りでした。ばんつあ、ごめんなさい。
☆ はじめての記憶は、
竹で編んだ四角い籠を背負って行商に来たシーンです。
夫のおじいさんは丸通に勤めてけっこういい暮らしだったのが、
昭和20年 胃癌で50才で亡くなってしまいました。
一番上の娘(私達のお母さん)は結婚して子どもが5人いました。
母の下の小さな弟と妹を抱えて、
酒田で海産乾物を仕入れて、大石田まで売りに来ていたのです。
大石田の家の土間、竹の籠、ばんつあの前掛け、質素な着物・・・甦ります。
☆ 生まれは、芦沢で一度生家に寄ったことがあります。
緑深々の農村でした。
☆ 酒田のばんつあ と言えば、健康の代名詞で、80過ぎても出羽三山の階段をすたすた だったそうです。
ずっと元気で、最後の二年ほど、ボケが入ったそうですが、96才で亡くなりました。
そうそう、酒田の家に行くと、家に鍵をかけませんでした。
酒田の港にあがった、とれたての蟹を舟から直で買って来て、いいだけ食べさせてくれました。
ばんつあ、じいちゃん、お母さん、お父さん、てい子姉ちゃん、みんな穏やかにやってますように。

