毎週木曜日は『子供たちに伝えたいこと』です。
今日は、七夕と年中行事 です。
子供の頃の七夕は・・
七夕の翌朝早く、町中の人が大橋にやってくる。七夕飾りを大橋から最上川に流すのだ。
川から立ち上る朝靄のなかに、色とりどりの短冊が浮かぶ。
庭(というほどのものでもないけれど)から一番伸びた笹を二本切って、それに短冊、東京タワーみたいな網を色紙でつくったの、などで飾り、
お供えにはお盆いっぱいに野菜と果物。
一番覚えているのは、縞瓜。(今では一個600円とかしている)
1960年高度経済成長政策が本格化した頃、荒木家は、県庁所在地に引っ越した。
暮らしは激変。スーパーマーケット経済に否応なしに巻き込まれることになる。
年中行事も、とても故郷の大石田のようにはいかなくなった。
父と母は、いったいどんな気持ちだったのだろうか?
言葉にならないものを胸にいっぱい抱えていたに違いない。
月歴に従い、季節の食べ物をお供えして、年中行事を執り行うのが、母のメインの仕事だった。
その行事の内容を、母から聞き書きしたのだけれど、どこかにいってしまった。
農文協の『日本の食生活全集』の、山形版に、近くの土生田(とちゅうだ)の年中行事が載っていて、我が家のそれとかなり近い。
この年中行事を子供たちに伝えたかった、しかし、不可能だった。
年中行事は土から生まれた。大地からの恵みの生産物を捧げて、八百万の神々に感謝と畏敬を示す。
・生活に追われてそれどころではなかった
・環境、地域コミュニティ、家族ナシに、単独で伝統の年中行事をやるのは困難である、という事情もあった。
ばあちゃん子だった母は、言っていた。
『太平洋戦争が終わる前は、ばあちゃんに教えられたことを毎年同じように繰り返していればよかった』と。
どうだろう、もし興味があったら、我が家の年中行事をやってみない?
年越し、誕生日の他になにか、と言っても雲をつかむようだよね。
私自身、ご先祖様にもうしわけないと気になりつつ、ま いっかとそそくさと過ごし、正月の餅も買っている。
でも、新年中行事の案だけでも残しておきたいと願っています。
年中行事については、あらためて書きます。

