『冬の遊びー1960年以前』

630/10000 2021 02 04
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ①子どもたちに伝えたいこと ②私の来し方 のうち
今日は②で、子どものころの冬の遊びのことを書いておきます。

 迷路のようなかまくら(山形ではかまくらと言わなかった。なんと呼んでいたのか思い出せない、あなぐらかな?)が溶け始めるから危ない、と親に言われたかで、近づかないようになるのは、立春を過ぎた頃からだったろうか?
 屋根から降ろしたのが積みあがって家と家の間を埋めている雪に縦横無尽に姉たちと、たぶん近所の子どもたちで掘ったのだ。中学生、高校生の男子も一緒だった気がする。力仕事だし。

 雪の遊びは、そり滑り、竹下駄、迷路での鬼ごっこが代表的であった。
 雪でスロープをつくってそこを滑る。金平神社の脇の坂には子どもたちが集まる。大工だった父と兄たちが作ってくれたそりが物心ついたときにはすでに,3、4台揃っていた。うちは7人きょうだいだ。竹下駄は、それ用の下駄の底に竹をうちつけたもの。川端部落の桶屋さんの持っていって竹を打ち付けてもらったり修理してもらったりする。プラスチック、ビニールのない時代である。
 新雪が降ると、最上川の岸の平らなところに長靴で踏みつけて迷路をつくって鬼ごっこをする。今ではもうずいぶんと前から 雪が積もっても市内の公園はまっさらで、そのたびにこの迷路のシーンがよみがえる。

 大好きだったのが、箱ぞりである。大きな箱がそりになっていて後ろに手押しがついている。小さい子をのせて遊んだ。私は遊んだ記憶しかないけれど、母たちは荷物運びにも使ったいたのかもしれない。

 学校で、小山に雪遊びに行く日があって、今思うと大変だった。そりや竹下を持って小山までみんなで歩いて行く。もう途中から足が濡れてびしょびしょ、靴下か足袋か、履き替えても効果なし。今のような完璧な防寒着以前の話です。

 毎年冬前に、川端部落の阿部さんの爺ちゃんに、子どもたちの藁沓(この漢字、なかなかぴったりだ)を母が注文してくれる。雪踏みの俵も爺ちゃんの手編みだったのだろうか?
雪が降った朝は、家の前があいていないのは恥である、と母は思っていたから姉たちと母で道を開けた。私もやったことがある。朝目が覚めると入り口が塞がるくらい積もっていることがよくあった。

 メイン・ストリートの両側にはうず高く雪が積み上げれら、馬車が材木を運び、豆腐屋さんが箱そりに豆腐を積み込んでチャルメラを吹いて売りにまわってくる。
 やがて小学校3年か、4年のころ道路の舗装が始まり、ブルトーザーが侵入してきた。その時の違和感と屈辱感を忘れない。そのときは言葉にならなかったけれど。

この冬の公園での子どもたち。イラスト描く時間がなくてこの写真で代用します。