592/10000 2020 12 09
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
ずいぶん範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。
今日は先日取り上げたこの本の奥野先生による解説部分からのメモです。

人類学の歴史と今直面している課題について語られています。むむ、と来た部分をメモします。
・調査者が外部から一方的に持ち込むのではなく、現地での体験から得られたテーマを探究する過程で自己変容するというマリノフスキのテーマに対応するのが、現地の人々の「血肉」部分をとらえることである。
・血肉とは、現地の生活の実態を体験してはじめて観察できる重要な現象であり、実生活の不可量的部分である。
平日のありふれた出来事、身支度、料理や食事の作法、村の焚火の回りでの社交生活や会話の調子、人々のあいだの強い敵意や友情、共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心とが個人の行動にに現われ、彼の周囲の人々にどのような気持ちの反応を与えるかという、微妙な、しかし、とりちがえのない現象-などのこまごましたことが、これに属する。
・1950~60年代のフランスにおけるヌーヴェルヴァーグの映画革新運動において映像人類学者ジャン・ルーシュは、実生活の不可量的部分が顕著に現れる、撮影者と非撮影者の「あいだ」に着目した。
・映像、マンガは、文字での表現の限界を超えてこの血肉=実生活の不可量的部分を伝えやすくできる。
これに触れて想起されたことをアトランダムにメモします。まとまりませんけど。
・ハリウッドのパターン化されたつくりものの中に出現したヌーヴェルヴァーグ映画はこういうことだったのか。
・ありのままに見えて接することが大切である。自分たちの「文明」の価値基準で杓子定規を当てはめて優劣をつけることはまずい。
・人間、創造物は、調査対象として生きて暮らしているのではない。
・近代文明は、人間の総合生命力にそぎ落としと抑圧を強制している。この中で生きている私達も、血肉の不可量的部分を抑制したり、踏みにじられたりしながら暮らしている。抑圧に従うことが文明と勘違いしている人も少なからずいる。ボルネオの森の民プナンの人々は、動物、植物、小屋とも魂を共にして、うまいこと、つまり、血肉がそがれないようにある程度システムもできていて、不安や心配がすごく少なさそうだ。
・今私達の暮らす社会は問題山積で、生きることの価値基準そのものがぐらぐらと壊されている。既存の今横行している価値基準と、付け焼刃なノウハウではすでに対応できなくなっている。新たな生きやすい世の中をつくって行こうとするとき、想定外の多様な世界に目と耳と心身を開いて柔軟に対応していきたいものである。
と頭を使って読みました。

