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毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方
の内今日は②で、我が家の結婚式を振り返ります。
★ 8日の日曜日は、能登の息子、ソウルと亜衣ちゃんの結婚式だ。場所は輪島市の山の中、与呂見村、そこの檀家制度をなくした龍安寺で仏前でやるという。家族、親戚、友人知人みなわいわいと集まってさぞかし賑やかで和やかな集まりになるに違いない。レイ子かあさんはさぞかしテンパっていることだろう。わが家は下の息子が代表で駆けつける。
久しぶりの結婚式だ。ここでちょっと思い出す結婚式を簡単に振り返ってみよう。
★ 最初は、1963年昭和33年荒木家の長兄の結婚式である。当時仲人は世話好きのおじさんおばさんがやるものだった。伝統に則り嫁入り道具が運び込まれる。髪結いさんが割烹着を着て髪結い道具を抱えてやってくる。結婚式も披露宴も自宅でやるのだ。料理は婦人会の手作りに加賀屋の折詰。宴たけなわとなると陽気なおばさんがドジョウ掬いをやりだす。路地(家の中の土の通路)に子供たちが鈴なりになって見物している。そう、ぜんぶ地域共同体の手作りだったのだ。
★弟の結婚式は結婚式会場だった。弟は経費を切り詰めるべくプランナーと交渉していた。私は地が水色の振袖で『あざみの歌』を歌った。波乱万丈の弟は伴侶とそのご家族に恵まれた。
★うちの兄の結婚式は、系列のホテルだった。職場の仲間たちがまるで家族のように慣れた感じで何くれとなく世話してくれた。“同じ釜の飯を食べてますから” 鉄道の運転士でお客様のいのちを預かる仕事なのだ。テーブルの細い蝋燭を見ながら、つつましくてよしとする息子夫婦を誇りに思った。翌朝二人仲良くホテルで朝ごはんを食べている姿に、しっかり慎ましく睦まじくやってくれるようにと祈った。早いもので孫姫は高校一年生になる。
★私は結婚式とは無縁だった、ところが結婚式に出るのは大好きで、こっちに来てからロック・フレンドの結婚式に頼み込んで出てステージで一曲歌を歌った。めくら蛇に怖じず。かれこれ30年前のことで、そのころ北海道では会費制で数百人規模が普通だった。今こんな大きな結婚式をやる人はいない。
★友人の結婚式もよかった。なんでAさんがまだ、勿体ないなあと友達がみな案じていた、そこに管内のある町の結婚相談員をなさっていたMさんが良い人を引き合わせて下さったのだ。友人一同ほっとした。元アナウンサーのMさんの司会は目を向くように気品高くあざやかであった。
★私達のころと違って今は、結婚しない、していない若い人はふつうで、あれこれ気になること、不安材料もあるだろう。政府の雇用政策は税金を納めている一般庶民を見ておらずその余波が、うわっ、せこっ!と身近なところに押し寄せてきている。
でもね、私達は雑草なのだ。相性のいい出会いがあったら一緒になってあれやこれや乗り越え合ってやっていこうよ。
ソウル、亜衣ちゃん、睦まじく元気でね。
ご結婚おめでとうございます!

