『古典落語を必修とする』

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毎週金曜日は、◆望む未来を今つくる~政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

=シリーズ “新生日本に向かって・起死回生プロジェクト”=

 かなりえぐい世の中に生きてんだな、と溜息ついてなんとか気持ちを引き締めて胸の中でベロを出す。そんな日々が何年も続いています。まあ、私たちは仲間に恵まれていますからまだまだ大丈夫なんですけどね。

内田樹先生のこの8日のTWITTERより

内田樹@levinassien『「劣化」というと言葉が強いけれど、僕がとくに感じるのは「正直」「親切」「愉快」というような基本的な徳目が軽んじられていることです。とりわけ、困っている時に「親切」な人、タイトな状況でも「愉快」な人がほんとうに減りました。「正しい人」はなぜかたいてい不機嫌で辛辣なんです。

 パート先の店で“・・・してもいいですか?”とおたずねになるお客さんがけっこういる。なんで許可を得ようとするのだろうか? 威張られたらいやだけれど 〇〇でお願いします、とシンプルでいいと思うんだけど。

 通りすがりにちょっと困っている人に手を差し伸べようとすると、いいです、と断られることも少なからず(心が受け止めたウエイトで)ある。“自己責任”でなにもかもひとりでやらねばと思い詰めているんだろうか?(私も身に覚えある)あとで要らぬかかわりを強制されるのではとこわがっているんだろうか?

 それは、個人のキャラの問題ではなくて、政治の問題である、と私も遅ればせながら気づき始めている。持ち主が私たち主権者である税金が、私達のいのちと暮らしが楽にのほほんと暮らしていけるように使われると信頼できるのなら、万般こんなにいじいじと心情がケチになり、びくびくしないで暮らしていけるのだ。政治は身近、暮らしと暮らしていくときの気持ちに直結している。いのちと金を強盗されて殺されるか、楽に生きていくかの問題だ。

 現政権はもはや徳目と無縁、これが一番怖い。今の若い人たちは生まれたときから安倍政権なのでこれが常態なのだそうだ。若者の死因の一位は自殺、思い出すたびにそら恐ろしい。戦後民主主義世代の爺婆たちとはまるで違っているのだな。ここをどうやったらブレイク・スルーできるだろうか?

 “タイトな状況でも『愉快』に” 深刻なときこそ余裕でユーモアを出せる自分でいたい!。これこそは我が人生の究極の目標です。でもまだまだとてもとても修行が足りません。教育改革では、まず第一に国語を最優先して(英語より先に)読み書き作文にスピーチ、それと古典落語を必修とする、どうでしょう?民度いやがうえにも上がると思いませんか?高度なユーモアは文化のバロメーターですからね。あちらの人はちょっとしてシーンでもほんとに気が利いたことばをポンポンと出してきますものね。

ギボウシの花が満開です。