『きょうだいで自分史する』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

★ 私は7人きょうだいです。昭和7年から昭和25年までいます。2番目の姉は亡くなって長兄とは疎遠になりました。
 一番上のねえちゃん(いちばん上の姉ははただ“ねえちゃん”と呼ばれています)と最近、前よりいっそう頻繁に手紙のやりとりをしています。このブログで毎週木曜日にこのところ生まれ故郷のことを書いていてそれを送るとすぐ返事が来るんです。いっしょにサクランボやら衣類やら切手やら、ねえちゃん、ありがとう!。さすが長女、いつまでも困った時のねえちゃん頼みでねえちゃんも困るときもあります。

さて、故郷のことを書いたので、先日二番めのゑい子姉ちゃんと弟の利明君にも送りました。ノートも一冊入れました。何か書いてくれるかもしれません。
そしたら、姉ちゃんが、賢ちゃん(二番目の兄、昭和9年)にも送ったら、と手紙に添えてきました。賢ちゃんにも聞きたいことがいくつかあります。・父との大工修行 ・出稼ぎ先 鬼怒川温泉の現場などです。

★  ねえちゃんからの今度の手紙で思い出したことが三つありました。
① 洪水は、“水上がり”と言っていたこと
② 対象12年の大洪水、ああ、大人たちが言ってた言ってた!
③ “ろうず”、これは路地の意味でしょうか?玄関(というほどのものでもありませけど)から家の中に土の通り道が裏迄通っていたのです。大石田弁と共にあの“ろうず”がさっと甦りました。
 私たちが生まれてもの心つく前もたびたび“水上がり”はあったとのことです。



★ 私達きょうだいも全員70過ぎ、賢ちゃんは85歳です。今のうちです。5人で書きあえば、その時の思い、知らないことがたくさん出てきそうです。
昭和20年代、出稼ぎ先からの葉書には家族間のおもいやりが書かれていました。兄二人にも面倒みてもらったものです。その後昭和35年に県庁所在地に引っ越して、我が家もそれなりに高度経済成長政策以降の時代の波をかぶることになります。
残った5人で書きあいながら、悪口言いあいながらでも、あれやこれや共有しあって笑いあえればと願われます。
 一人で書くときと違って、グッと幅と広がり、重なりが幾重にも交差してきます。

賢ちゃん、姉ちゃんのとこでも取れていることでしょう。北海道でももう3本は食べましたよ。