毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、親からこどもへの連携プレーについて考えてメモします。
★ 自分が家庭を持ったら絶対話し合いができるホームにすると、固く心に期していた。しかし、生活に追われてそれどころではなく、自身話し合う経験も持っておらず、すまなかったなと思う。子供たちの目を見て話を聞いたこともない。
★ きょうだいとも離れ親戚もなく母と二人の息子は、母が生まれ育った実家での生活とは全く違って、しがらみもないかわりに、蓄積もなかった。出会った友達が頼り、学校の先生、数少ない近所の人たちがいた。父と母と家というもの、それに地域共同体にまもられていたのだ、とわかった。孤軍奮闘でもあった。
メンバーの少ない我が家が別に特別ではなく、この時代多くの家もそう変わらない。故郷喪失といっては言いすぎかもしれない。
★ 伝統的な蓄積は、実家も県庁所在地に引っ越してからは急激に減らし、時代に下手糞ながら追いついていくのに精一杯だったのではないだろうか。コンピューター前までの激変する時代の中で言葉にならず伝えようのなかったこと、時代の空気を吸いささくれ立って生意気盛りの娘に言いたくても言えなかったこともあっただろう、と思う。親孝行したいときには、である。
一軒だけでは伝統的な蓄積を次の世代と共有することが不可能に近いことも実感した。伝統行事もスーパーの売り棚に盛られているだけになってしまった。
★ 友達が一世代かけてつくった共同体をいくつか知っている。友達であることが誇りであり、揺るがぬ希望として胸に座っている。しばらく前から次の世代に手渡す作業が始まっている。そのひとつは哲学を学びあい米を自給しながらそれぞれ仕事をしている。もうひとつも農を生業にしている。新たに故郷を築いているのだ。生物としての生き方が核にあると思う。
★ こどもというものは、「親がことばにならないけれど一番伝えたいとからだでいっていることを、ちゃんとからだで受け止めて、親以上に理解してやっていくものだ」という話を聞いたことがある。
仕事のこと、お金のこと、職場、友人、数少ない親戚との付き合い、時代の中で生きること、ITは言うに及ばず、“は!?どこで覚えてきたの?”と母驚愕すること少なからず。老いては子に従え、の域に片足突っ込んでいる。
★ アトランダムの舌足らずなメモになってしまいました。いずれにせよ、コロナを超えて元気でやっていきましょう。蛇足の一言、生きていてくれれば十分。ではまた来週、子供たちに伝えたいことを書きます。
