毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、生まれ故郷の大石田の春を思い出して書いておきます。
☆ 山形の内陸部、大石田は豪雪地、一冬で5回雪下ろしをしたこともある。
春の最初の兆しは、かた雪。かた は固いのかた。
日中気温が上がって積もった雪の表面が融けて、夜の冷えで融けた表面が凍る。
ふだん歩けないところも自由に歩けるようになる。かた雪といえばまずこの開放感が蘇る。
朝日に伸びる桑の木の影を踏みながら中学校に向かった。
☆ 春早く、目の前の最上川の川面全体に、雪の塊が流れてきたことがある。
いったいどこから流れて来たのだろうか?
家の前の階段の雪の下に雪解け水が流れるようになると、土を掘って
そこに水がたまるようにして遊んだ。遊びといえばこんなことばかりだった。
☆ 春一番はフキノトウ。近所のお屋敷の塀沿いの日陰にフキノトウが顔をのぞかせていた。川岸の木のまわりから雪がとけていく。植物の熱が雪を融かす。
そのころの我が家ではフキノトウを食べることはなかったと思う。
次はアサツキ。姉達について小山にアサツキを掘りにいき、鉄製の掘る道具をどこかに置き忘れてしまいべそをかいた。姉が慰めてくれた。
ウコギ。川端部落の西にウコギがひと群れ生えていて、
子ども会で毎年春になるとその新芽を摘んで一軒一軒売りに歩き、子ども会の活動費に充てた。
(5月節句の前には、笹の葉を売り歩いた。朧気川の岸に取りに行って)
ウコギが食べたい!
☆ 梅、桃、桜とほぼいっしょに咲く。桜はソメイヨシノ。
琴平さまの境内にも境内の下にも何本も大きな桜の木があった。
琴平さまには一本だけ八重桜があった。桜が咲くのをうきうきと待っていた。
☆ 三月節句のおひなさまも当時はみな旧暦で執り行った。(お母さんが、です)
しまってあるおひなさまを取り出し雛壇をつくり赤い布を敷き、
最上段にお内裏様とお姫様、その下にあれこれコレクションを飾った。
母にはひとつひとつエピソードがあったのだろう。
お内裏様とお姫様は、一番上の姉が生まれたときまだ荒木家が落ち着いていたころに買ったものだそうだ。
お供えは、お寿司と鰊。身欠き鰊も干していたな。
父達が出稼ぎのお土産にと買ってきてくれた『小学〇年生』の3月号ーそれも完全版ではなかったような気がするーの付録の、“手さげおひなさま”。紙製で、手さげを開けると立体になっておひなさまが雛壇にそろっている。西国分寺から引っ越すときに失くしてしまった。とても大事にしていたのだけれど。
☆ 三月節句には「くじらもち」を一日がかりで蒸す。
竈に飯釜をかけてお湯を沸かし、その上にくじら餅用の型を入れた蒸篭を載せる。
型には一晩寝かせた、餅米と粳米半々の粉を一晩寝かせたのが布巾に包まれて入っている。味も色も様々。黒糖入り、味噌味、ピンク色だったり、胡桃入りもある。蒸してから上に色とりどりの小さな粒つぶで飾るのもある。
一ヶ月くらいおやつはくじら餅一色となる。
今ではみやげ物屋で一年中売っているけれど、三月節句のでなければ、食べたいと思わない。
おかあさんの手作りのが食べたい。遊んでばかりいたけれど手伝えばよかったな。
☆ 春先の山菜で、いちばん食べたいのは「キノメ」。アケビの新芽です。信州の清水平で食べてみたけれどうまくなかった。土と気候の違いだろうか?
父と兄達の収穫、親戚と近所から、と山菜はよく食卓に登ったな。
☆ あのころ、荒木家は1960年迄と、そのあと、そして今現在を思ってしばらく時間が過ぎるのである。
このことについては、またいずれ。
