毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
3.11から、10年目、この借家に引っ越して10年目になります。
今日は、その引越しのとき、捨て過ぎて今も後悔している、という話です。
★ 3.11が発生したとき、私は国民年金の事務所にいた。職員さんが急いで入り口の戸を全開にした。その足で市役所に寄ると、テレビに、押し寄せる津波の実況中継が映し出されていた。え、なにこれ!? 近くにいたおじさんが、津波だよ、流されているんだ、と言った。CGのようで現実感がわかずしばらくの間戸惑っていた。
そのあとは家でテレビに釘付けになり、迫る引越しの片付けはどんどん遅れていった。
お隣の親切なおばさんが見かねて手伝って下さった。ガラスを磨き、大量の本を町内会の資源庫に運んでくれた。
★ 当日、兄がレンタカーを引っ張ってやってきた。時間がない!と急き立てられ、おっとり刀で残りの大量の荷物を分け始めた。バック・ミュージックは、兄の“捨てろ!捨てろ!”コール。
3.11パニックに加えて、急き立て捨てろ!パニックに煽られ、自分の段取りの悪さに唇を噛むいとまもあらばこそ、ええい、ええい、と大切にとっておいた思い出の品々を、くりりん(ゴミ処理場)行きのトラックの荷台に放り込んだ。
★ そのあといつも胸にある後悔リスト
・清水平記念品の ●お焼き鍋 背負子(確かに使わないわな)
●日向のおばさんが、下が生まれたときに手縫いでつくってくれた亀の子。おんぶするときお子を覆うあれ、です。(その端切れのみ裁縫箱にある)
●山形の父がくれたぬいぐるみのまるい人形。これは写真がある、喜んで遊んでいる。
●息子たちの父ちゃんと出会ったときに着ていたブラウス。『地球の上に生きる』を見て同じパターンで何枚も縫った一枚。姉のお下がりのスカートのリフォーム。これは写真がある。
●小学校のときから大切に塗らずにとっておいたぬり絵。
〇産着とおしめ(おむつ)ワンセット。清水平の水の気配を残していた。
●には、特に胸が痛む。とっておいても場所とらなかったわね。被災した方々が失ったものに胸がいっぱいになっていたこともあった。
★ 若いときはバンバン捨てたり上げたりしてみかん箱ひとつで引っ越したりした。確かに息子たちの仰るとおり もちょっとシンプルにセネバとは思っております。
でも、大切な思い出の品々の断捨離は、禁物と、トシとともに悟る。それは共に生きてきて、自分を支えてくれたものだから。
2人の子供の小さい頃の作品や成績表などをいれた「思い出箱」をつくる余裕もなかったな。
山形の実家にあった、太平洋戦争前後の、大量の写真。大工の仕事の現場で活躍している父、最上川と大橋、当時の両羽銀行の竣工間近の工事現場で近所の友達と3人並んでいる母(現場の掃除に行ったのだ。婿取り専業主婦の母の唯一のアルバイト・シーンか)、立ち退き直前の実家と近所の全景・・・
もはや二度と見ることはないね、惜しいけど、ときょうだいでうなずきあったて、一年になる。
