子どもらに寄せてー母の来し方を振り返る①

一番目はやはり最上川。

母の原風景です。

五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉

その通りでした。

さらにグッと来るのがこちら。

最上川逆(さか)白波の立つ迄に   吹雪く夕べとなりにけるかも 茂吉

春先 二階の障子窓から 川面一面に雪解けの雪の固まりが流れて行くのを見たことがある。

山形県北村山郡大石田町川端丁25

約22軒の部落で、神社は金平様。

酒田からの水運の船着き場だったそうだ。

↑今の風景。橋は大橋。約145m。門は新しいもので、当時もそれは立派な板塀がぐるりと大地主の屋敷を取り囲んでいた。

我が家はこの屋敷から東に3件め。

毎年洪水となり、我が家は最初に床上浸水。

堤防ができることになって、立ち退き、

1960年夏県庁所在地に引っ越したのだった。

3月に山形できょうだいとあったとき

みな思い出すのは大石田のことばかり。

姉ちゃん(一番上の姉昭和12年~)がいなくなるとわからなくなるね、と

川端部落の家並みの各家の苗字を思いだしあったり、

思い出、ご先祖様のこと、父と母のこと・・・

話は尽きないのであった。

(始めて『自分史』にとりつきました❗仔細が次々に浮かんで来ます。全部書き出すとしたら大石田時代だけで一冊になりそう!     

そうでねえ、お互い様、ひとりひとり、それぞれ、経てきた歴史を、語らなくても抱えているんですよね。それだけでも敬意を表しあう価値あり、と書きながらジンと来てしまいました)

姉ちゃんと二人の姉、弟、親しい近い親戚のお姉さんにはさまれて私。小学4年。最上川の岸で、橋は大橋です。