【わかりきってしまいたくない】

1426/10000  月歴7月16日  太陽歴 9月7日(日)曇・小雨 

昨日の夜は大満足して布団に入りました。
内田樹さんのご本『知に働けば蔵が建つ』
「はじめに」を拝読しただけで
超ワクワクです。

「我等何をか知る」この言葉を、ひそかに座右の銘としている
わが身の反応でした。
わかりきってしまったらこの世の終わり、とカンじている、
それはどういうことなのか、このことを
内田さんがその知性で深堀りなさって下さっていたからです。
ちょっと大まかに引用してみますね。太字は私です。

大まかな引用

 『 教養とは「まだ知らないこと」へ フライングする能力のことである。

 一つの文が、あるいは一つの単語が、場合によってはただ一つの音が、私たちの脳裏に一瞬のうちに「一つの物語」を編む 編み上げてしまうことがある、人間はそういうことができる。

  私たちが何かを「知る」というのは、「 暗黙のうちに知っていること」が明示的に知られることに変換されるということである。

  そして、人間知性の場合、 その変換プロセスは 「(結末が まだ分からない)話を一つ思い出す」という形で起動するのである。
 どなたも経験が終わりだろうが、 この変化には手間ひまがかかる
 「お話」を一つするのには時間がかかる
暗黙のうちに知っていることを明示的な水準で 主題化するためには時間がかかるのである

 私が何かを知るというのは、私が知性的には「知らない時の私」と は別人になることによってである 。少し 別人になることで達することのできる 知的 境地があり、大いに別人にならなければ 達することのできない境地もある 。

 私自身がこれからどうなるかわからないという 私自身の未知性の敬意をもたぬものが他者の道政に対して 節度のあるアプローチができるものだろうか 

 この話をしているプロセスそのもの、 過去と未来へ 、同時的に開かれていく 生成 プロセスそのもののこと 私はその後の起源的な意味を踏まえて「 教養 」Culture(「培 養」「栽培」「養殖」)と呼びたいと思うのである。』

◆私の反応 思いつくままに 

・確かに「生成」ということには時間がかかる。
“ 何としても人生を変えよう ”と湧き上がって来てからかれこれ30年、
 この1年弱で新しい人生のスタートラインが
 垣間見えてきた感じがしているんだもの。
・自分の価値観を強制押し付けてくる人とは付き合いたくない
・“ 3ヶ月で売上30万~100万可能!”
“ AIがやってくれます!乗り遅れないで!”
 などの煽り広告には騙されないぞ。
・じっくりコツコツ自身のペースをキープしつつ前進していこう
・自身の価値観、真実を押し付けるのはダサいし
 相手の欠点を指摘して直して上げようとするのも
 エネルギーをお互いにロスするし
 お互いの未知を尊重しながら
 お互いに自身の道を探り合っていく、
 これがcultivateするということで
 一生プロセスである・・・
・ケースバイケースではあるけれど、
 “ 一文ワンテーマ、最初と最後に結論、
簡潔に、すぐに分かるように書く”書き方では
抜け落ちるものがあることもある、
意識的にせよ、気づけないでいたにせよ


今日はこのあたりにしておきます。
詳しくは、内田さんの本をどうぞ。