『水のこと~「清水平便り」から』

1391/10000  月暦4月15日 太陽暦5/22(水)

「毎日更新」がまたまた空いてしまいました。不規則になるとやっぱりペースが乱れますね。
毎日更新の方がすっくとします。なるべく空かないようにリズムを作ろうと思います。

 さてこの空白期間に Kindle出版に向けての第一作「清水平便り」に着手する手はずが整いました。将来目次になる項目を整理して、1週間に5日1日5枚、として7月の土用までに250ページ、と計算してみました。この課題を最優先にセットしましてリズミカルに行くようにと心しております。
まずは、一番大切な「水」のことを思い出しながら書きました。

テマリカンボクの小型のもの@帯広



 清水平は水は不便でした。。
 沢の水、川の水、湧き水、とあり、ウエイトがいちばんおおきかったのは天水でした。
飲み水、料理用の水として使いました。天水を受ける大きな甕がそのままになっていて
それを使わせてもらいました。洗い物は川で、風呂の水は川から汲みました。
 今なら不便きわまりない、ですよね、しかし私たちの前の世代のおばさん方はこれが当たり前で、これしかなかった、珍しいことではなかったのです。身体を使って生きていた、身体を使わなければ暮らしが成り立たなかったのでした。

 雨が降ってくるとまず屋根の埃が雨に洗われるのを待って、天水甕の蓋を開けて雨を受けます。どれぐらい入っただろうか、料理とお茶にしか使わないのでかなりもちました。甕からバケツに汲んで台所で大切に使いました。
 清水平を起点とする稜線の上に分校跡があり、その建物の地下に大きな天水槽がありました。人が去って10年以上過ぎておりすでに雑木に覆われており 残された教科書などが散乱していました。子どもたちが山の中を歩いて通い、生坂村と入山部落の人々が子供たちのために天水槽を造るシーンが目に浮かびます。重機がまだ一般的ではなくそもそも入れない地形であり、スコップで手堀りだったと思います。
  今住んでいる街中のご近所で物置に天水用の樋をつけて天水を受けてガーデニングに使っているお宅があります。天水はもっと活用できると思います。

◆沢水
天水がなくなると、清水平を降りてバケツを手に近くの沢水を取りに行きました。清水平の東南にそびえる「岩殿山脈」から出ている沢水です。この水は澄んでいておいしかった。
今なら一輪車にポリタンくらいの頭は働くかもしれません。
 借りている元屋敷の南隣にすでに崩れた家があり、その南端に水場があったことがわかり、枯れ草を掃除して水を汲みました。でも水量も少なくあまりおいしい水ではなかった、一辺が75㎝くらいだったでしょうか。

◆洗い物
 清水平をぐるっと取り巻く入山川が、洗い物、洗濯、風呂の水でした。洗い物の水は20リットルのバケツを両手に持って坂を上り降りして家の前に運んだものです。30代でした。今なら川迄の坂を手ぶらで下るのも一仕事です。夏には洗い物を川迄運んで洗いました。冬にはお湯を沸かして水をぬるくして食器を洗い、洗濯物は沸かしたお湯をバケツに入れて下に運び、貴重なお湯で川の水をあたためて洗いました。真冬には川面が凍り、その氷を割って水を盥に汲みました。
 「おしん」か、ですよね。でも辛いとも思わなかったし、おもしろいとも思わなかった、でもあれこれ、どうすればやりやすいか工夫しました、したつもりです。
 今こうして氷を割っておしめを洗っているのはどういうことなのか、とは、意識の上に登っていたわけではないけれど、言葉にはなっていなかったけれど、いつも胸の中にありました。
 というわけで、うちの二人の息子のおむつは99%川で手洗いでした。息子たちがこのことを誇りに思うか、恥と思うかは自由です、その意味を考える考えないかも。

◆風呂
 息子たちが赤ちゃんのときは、もちろん毎日風呂に入れました。風呂用の水をくみ上げ、沸かして、盥に移して、水で適温にしました。
 風呂は、冬は一日仕事でした。檜の風呂桶に川から水を汲んで入れるのが一仕事、薪でわかすのに結構時間がかかって、風呂に入るのも、風呂屋がなく風呂桶があるだけでしたから寒かったはず、でも覚えていない、その後お湯があるうちに洗濯を済ませて、洗濯物を家まで運んで、干すころには日が影っています。その間上の息子はダダもこねず風呂のまわりで遊んでいました。母のそばを離れずいっしょにいてくれることに感じるものがありました。
 風呂桶はあとで川べりから家の前に移しました。

◆水の力
 今よみがえってきたのは、水が、流して整えてくれて、スッキリ爽やかになったものだった、このことです。疲れたとき、去らぬ思いがあるとき、川で流れ水で手で洗っているうちにすーっと頭が軽くなり心身がスッキリとなるのでした。水とつきあってひとつになるのでした。浄め、ですね。

  面白いかおもしろくないか、辛いか辛くないか、そんなことを考えたこともなかったような気がします。荒れ性の手が冬はずっと荒れていたにせよ。そして日々繰り返しているうちに、向こうから、清水平の谷の大気の中からひびいてくるものがあり、それが私の一生の生きる軸として動かないものになったのです。

 今ならどうするか、こんな不便なままで放っておくのか、このことはまた後程。