『鯉のぼり~㈷子供の日』

1387/10000  月暦3月27日 太陽暦5/5(日)

 今日は子供の日です。
 わが家は息子が二人、満46と40歳です。母にとってはいつまでもわが子、自身の人生は子どもを授かってからといっていいくらいです。
 それで今年も鯉のぼりを掲げました。かわいかったので100円ショップで新調して、数年まえに同じく100円ショップでゲットしたもののひもを補強して下げました。


  わが家のご近所では鯉のぼりがひとつも見えません。どうしてもだんごが食べたくなって
小一時間かけて自転車でだんごやさんの大福亭に向かう道すがら、ついに一軒、ありました!
大きな鯉のぼりを上げているお宅が。その近所のつくし幼稚園さんではグランドの空にずらりと鯉が泳いでいました。昨日鹿追まで行ったらさすがに農村地帯では、数軒堂々たる鯉のぼりが泳いでおりました。

わが家の鯉のぼりは、思いは溢れてはおりますが、ちいさいしチンケなのは否めません。それは子供のころの鯉のぼりが原体験としてあるからです。
 鯉のぼりの竿は杉の一本木、軒下に保存してありました。5月節句になると、父と兄たちが鯉のぼりを立てるために出稼ぎ先から帰って来ます。てっぺんには杉の木の青葉を飾ります。
大きな鯉のぼりを朝に上げて夕方にはおろします。吹き流しがなかったので、母が、建前(我が家は大工でした)の飾りの五色の旗を縫い合わせて作ってくれた時はうれしかった、ややさめた鯉のぼりの色とはミスマッチな鮮やかさではありました。


 軒下には、ヨモギと菖蒲を挿して厄払いして無病息災を祈ります。風呂は菖蒲風呂です。
五月節句といえば、笹巻です。だんごともち米のと二種類、笹の葉に包んで蒸して、煮ます。 お母さんが、です。 一緒に手伝えばよかった。 笹の葉は子供会で朧気川沿いのささやぶに取りに行って一軒一軒回って売って子供会の活動費にしました。
 実家を離れてから、もち米のを食べたいとわがまま言って母に笹の葉をスゲの糸での結び方を教わろうとしましたが一回では覚えられませんでした。今では年中売ってますが手が伸びません。


 鯉のぼりの竿は、県庁所在地に引っ越したときトラックに積み込んで持ってきましたが、いつのまにか折れてしまった、と父か母か兄かが言っていたのを耳にしました。両親と兄たちの喪失感、父の喪失感を、今になって思いやります。それを意識していただろうかとも。あるいは、意識してあらたに何らかの伝統をつくるのは、私たちの次の世代になるのかもしれません。生活に追われて鯉のぼりどころではなくなり、山形市では上げたことがあっただろうか。
帯広市内ではほとんど見なくなった鯉のぼり、高度経済成長以前の町ではどの家にも鯉のぼりがたなびいていたものです。この違い、私たちの生命力、時と季節と一体になった暮らし、なによりも子供のすこやかな成長を祈り願うこころそのものはどうなっているのか、つらつらと思われてうすら寒くなったりもしますが、街であうお子たち、お散歩の園の子供たち、わが家の大学生とまもなく2歳の孫姫と、目の前の子供たちがいるのですから、人の道としてまもってあげなければなりません。
 わが家の鯉のぼりは月歴の五月五日まで出しておきます。